「〇〇が悪い」「こうして欲しい」──様々な要望や意見、時には愚痴のような言葉が飛び交う。
そんな中で多いのは、他人ではなく自分を責めてしまう声だ。
「自分がもっと頑張ればよかったのに」「自分が至らなかったから」……。
実は私自身も、かつてはよくそうやって自分を責めていた。
最近は少なくなったとはいえ、ふと「ああ、また自分を叱っているな」と気づくことがある。
そんなときに効果的なのが「マジックワード」だ。
心を転換して自己を肯定する言葉。
それが「意外と自分は」という枕詞である。
「意外と自分は頑張ってきた」
「意外と自分は人に支えられてきた」
「意外と自分は続けてこられた」
そうやって言葉にしてみると、不思議と気持ちが和らいでいく。
少しだけ胸がひらけて、人に対しても優しくなれる。
完璧を目指すよりも、まずは「意外と自分は大丈夫」と認めてみる。
それだけで心は少し軽くなり、人との関わり方も自然と前向きになっていくのだ。]]>いつものように息子は片耳にイヤホンをして、iPadでYouTubeを観ている。そんな時、私は決まってこう声をかける。
「それ観せて」
すると息子はイヤホンを外して、画面をこちらに向けてくれる。そこから会話が始まるのだ。
今夜の話題は藤井風の新曲「Prema」。インドの言葉で“無条件の愛”を意味するらしい。「やっぱり彼は天才だよな」という話で盛り上がり、一緒に音を確かめるように聴く。
そこから話題は、私がお土産に買ってきた本『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』(びーまん著)へと移る。息子がよく観ているYouTuberが書いたものらしく、「面白い」と言いながらページをめくっている。
さらに流れは学校の音楽の授業の話に。ギターで「大きなのっぽの古時計」を弾いているらしい。
「一番簡単で、しかもカッコいいやつを教えてやろうか?」と、私は軽く差し出すように話す。紹介したのはSmashing Pumpkinsの『Tonight, Tonight』。私が高校三年の時にヒットした曲だ。あの頃の自分に響いたように、今度は息子にもその音が届いた。やがて彼は、私のギターを持ってぎこちなく弾き始めた。世代を超えて音楽がつながる瞬間だった。
表向きはたわいない会話に見えるけれど、その裏には少しだけ親心がある。
本は、手に取ったら一緒に話せたらいいなくらいの気持ちで置いてある。
ギターも、弾きたいならいくらでも教えるけれど、無理に押しつけるつもりはない。
「こうなって欲しい」と形を決めてしまわないこと。
そのくらいの距離感が、今の自分にはちょうどいい。]]>出発前はいつも「めんどくせ〜」と思うのに、不思議なことに数日で都会のリズムに体が馴染んでしまう。帰る頃には「帰りたくね〜」と感じるくらいに。
台風の予報に振り回され、飛行機は飛ぶのかとやきもきしたが、傘を広げることもなく帰路につけた。
そして、窓の外に広がったのは、黄金に染まりはじめた稲穂。湿り気を帯びた大阪の空気とはまるで違う、甘くて爽やかな香りが鼻をくすぐる。胸いっぱいに吸い込むと、身体の奥まで洗われるようだった。
高い空が、クラクラするほど広がっている。
その下で風に揺れる稲穂は、まるで波のようで、見慣れた景色なのにどこか異国の風にも見える。
「いい町だ」と思った。
旅を経て気づくのは、結局ここに帰ってきたいという気持ち。めんどくさいと出かけては、最後にこうして町を褒めている自分がいる。
おばあちゃんが旅行から帰るといつも言っていた言葉を思い出す。
──「やっぱり家が一番いい」。]]>関西クリアーセンターという新しく完成した廃棄物の中間処理施設を見学させていただきました。最新の設備が並び、現場の工夫や熱意を肌で感じることができ、やはり実際に足を運ぶと得られるものがあるなあとしみじみ思います。
ところで、出張のときにいつも頭を悩ませるのが「お土産」。昔、ある先輩に「どこかに行ったら必ずお土産を買って帰りなさい」と言われたことがあります。「旅行中でも君のことを考えていたよ」というメッセージになるから、と。そのとき先輩は、「だから中身はなんでもいいんだ」と笑っていました。なるほど、確かにお土産って、モノより気持ちが大事なのかもしれません。
そんなことを思い出しながら、伊丹空港に降り立ってまず目に入ったのが本屋さん。店先に並んでいたのが『17歳のときに知りたかった 受験のこと、人生のこと。』という本でした。表紙の青い空に惹かれ、気づけば手に取っていました。
パラパラと目次をめくってみると──これ、俺も17歳で読みたかったかも、と心の中でつぶやきました。あの頃の自分が抱えていた不安や迷いに、きっと何かしらの答えやヒントをくれただろうなと。そんな本を、今の息子に手渡せるのはちょっとした贈り物だなと思います。
まあ山形でも買えるとは思いますが、こういう出会いって面白いですよね。旅先での偶然が、少しだけ特別な一冊にしてくれる気がします。]]>出発の準備をしながら、今回はいつもと違う選択をした。革靴を履くと間違いなく決まるんだけれど、会場を歩き回ることを考えて、ドレス寄りのスニーカーにしてみた。軽やかな足取りで未来都市を歩くのも悪くない。テンションは革靴だけど、実用性はやっぱりスニーカーの勝ちだ。
それから日傘も持った。昔は「男が日傘?」なんて言われたものだけれど、今はすっかり常識になった。真夏の大阪で涼しい顔をして歩くなら、これがいちばんの相棒だろう。
会場は電子マネーオンリーと聞いて、PayPayと交通系ICの両方をしっかりチャージして準備完了。移動はICカード、ポイントはPayPay、万が一のトラブルにも安心だ。
そして何より楽しみにしているのが、日本館と海洋ゴミのパビリオン。海と一緒に生きてきた町に暮らす者として、このテーマにはやっぱり惹かれるし、日本館も外せない。閉館時間まで粘ってでも見たいと思っている。仕事のヒントになるだけじゃなく、自分の暮らしの中にも何か持ち帰れそうな気がしている。
きっと当日は人の波に揉まれ、足もクタクタになるだろう。それでも、新しい景色や考え方に出会えるなら、それだけでこの旅は十分だと思う。]]>天気予報は「まだ暑い日が続きます」と言っているけれど、
朝の風のどこかに、秋の気配がまぎれこんでいるのを感じる。
田んぼの稲が陽を浴びて色づきはじめ、
虫の声が夜をにぎやかにしはじめると、
季節は何事もなかったように、静かに歩を進めていく。
学生の頃は、新学期が始まるたびに
席替えやクラス替え、担任の先生の交代があって、
気持ちの切り替えは自然にやってきた。
けれど大人になると、同じ机と同じ顔ぶれの中で、
昨日と今日と明日が、なめらかにつながっていく。
気づけば、季節だけが先に進んでいる気がするのだ。
だから私は九月になると、手帳を新しくする。
スマホで十分な時代に、わざわざ紙のページをめくるのは、
自分の時間に小さな節目をつくりたいからだ。
真っ白なページを前にすると、
これからの季節をどう過ごそうかと
少しだけわくわくしてくる。
周回遅れのトップランナーなど存在しない。
変化は、自分で起こすものだ。]]>少しお酒も手伝って、よく笑い、よくしゃべり、そして最後はぐっすり眠る──そんな無邪気な姿に、家族みんなでつい笑顔になった。まるで子どもの頃に戻ったようなひとときだった。
そして今回の長女の帰省をきっかけに、小林家のLINEグループがにわかに活気づいた。東京暮らしの次女と2人を加えてリニューアルしたとたん、未読メッセージが20だ30だと、一気ににぎやかになったのだ。
スタンプが飛び交い、誰かが写真を送ればすぐにコメントがつき、気づけば話題はあっちこっちに脱線していく。どうやら家族LINEが楽しくて仕方ないらしい。離れて暮らしていても、こうして家族の会話に混ざれるのが嬉しいのか、それとも少しだけ寂しいのか。
スマホの向こうで笑っている顔を想像しながら、こちらも返信する。離れていても家族の声がすぐそばにある──そんな時代になったものだ。
そして長女曰く、「お父さんはツンデレ」なのだそうだ。つかさず妻が末の娘に「ツンデレって何?」と聞いて、みんなでまた大笑いした。]]>けれど最近になって気づいた。足るを知るは諦めではない。むしろ、自分を全力で肯定することなのだと。うまくいったことも、いかなかったことも、欠けていると思う部分も含めて、「これが私の今だ」と受け止めること。そこから初めて、人は余計な不足感や劣等感から解放される。
不思議なもので、そうやって自分にOKを出したときにこそ、「これをやりたい」「誰かの役に立ちたい」といった思いが静かに芽生えてくる。使命のようなものは、焦りや劣等感からではなく、足るを知る心の静けさから生まれるのだ。
次のステージに進む人と、同じところをぐるぐる回る人の違いは、きっとそこにある。諦めが未来を閉ざす感情だとすれば、足るを知るは未来をひらく感情だ。
だから今日も、この言葉をそっと思い出しながら過ごしてみようと思う。]]>そうなると、歩いて乗船した人が、下船のころには杖をついて帰ることになるらしい。船旅というのは、どうやらロマンと同じくらい、カロリーとも戦うことになるようだ。
そして夫婦での参加者たちの姿がまた興味深い。もちろん仲睦まじいペアもいるが、実は少数派。多くは「うちの人はね…」と、相方への不満を延々とこぼす人も少なくないらしい。広い海の上で、どうしても話題に困るのか、それとも本音が波に揺られて出てしまうのか。
中には「一人のほうが気楽でいいわよ」と笑うご婦人たちもいたという。三か月というのは長い。自由を満喫するには、相手との距離感も大切なのだろう。
参加者の七割以上は60代以上。海の上で出会う人生のベテランたち。食べ放題と夫婦模様、そして寄港地での小さなドラマ。聞いているだけで、こちらまで小さな旅をした気分になる。
夫婦で世界旅行に行くというのは、その関係性も含めて、きっと人生のテーマなのだ。旅はどこへ行くかより、もちろん誰と行くかだ。
]]>もちろん仕事ですから、笑顔で受け答えします。でもスタッフと顔を見合わせて「客商売なのに、あの態度ってどうなの?」とつい言いたくなる。いや、むしろあれだけ鼻息荒くしていたら健康に悪いんじゃないかと、心配すらしてしまいます。
昔、先輩経営者から「三方よし」という言葉を教わりました。売り手よし、買い手よし、世間よし。商売ってそういうものだと。だから今は鼻息荒い人も、長いスパンで観察してみたら面白いんじゃないか、とその先輩は笑っていました。
思えば、私の若い頃もそうだったのかもしれません。勢いだけで突っ走って、相手の立場も考えず、今思えば恥ずかしいくらい。多分、経営者になっていなかったら、そんな事にも気がつけず今でもそんな風に振る舞っていたんじゃないかと思います。
結局のところ、みんなコンプレックスとか、マウント取りたい気持ちとか、つまらぬ何かを抱えて、生きているかわいい存在でもあるのです。可愛いなと思うと、こっちの気持ちまで晴れてきます。みんな「人間だもの」]]>