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820/1000 それぞれのバレンタイン 

820/1000 それぞれのバレンタイン 

昨日はバレンタイン。

末の娘がキッチンを占領している。

毎年この時期は姉たちと取り合いだったが、今は独壇場。湯せんの音と甘い匂いが家に広がる。

 

「板チョコ買ってきて」

 

コンビニで値札を見て、少し立ち止まった。

一枚200円越え。

 

私の記憶ではなぜか108円。

物価は上がると聞いているが、自分の中の基準はなかなか更新されない。

 

たとえば、英国の名門 Crockett & Jones の革靴。

昔は6万円台だったモデルが、今は10万円を超える。


良い靴だと分かっている。

似合うだろうとも思う。

それでも、昔の値段を知っている身としては――

流石に手が出ない。

 

だから中古市場がにぎわうのかもしれない。

“記憶の価格”に近いから。

 

そんなことを考えている横で、娘はチョコを刻み、溶かし、流し込む。

無言で、黙々と。

 

そこへ妻がひと言。

 

「買ったのそのままやったら?」

 

きっとキッチンの掃除のことについて考えているであろう妻は

実にドライだ。

 

娘は聞こえないふりをして、また混ぜる。

 

そして息子。

ワイヤレスイヤホンを装着し、別世界。

私の世代でバレンタインといえば、「もしかして」みたいな妄想をチラッとでもしたものだが、

現代の男子は興味がないのか、何を話しても、会話にはならない。

 

甘い匂いのキッチン。

値段に引っかかる父。

現実的な母。

自分の世界にいる息子。

 

同じ家の中で、それぞれが違う温度でこの日を過ごしている。

そんな日々ももう数年で無くなるのかと思うと寂しさが漂った。