人生というのはおもしろいもので、重なるときはいろんなことが一気に押し寄せてくる。
けれど本当のところを言えば、どこかで何かが停滞しているから、その“つかえ”が後ろの予定や気持ちまでせき止めてしまうのだろう。
小さな見落としや、後回しにしてきたこと。
あるいは、心のどこかに置き去りにした感情。
そういうものが静かに積み重なって、気づけば焦りや不安が膨らみ、パニックの手前まで追い込まれてしまう。
そんなときに大切なのは、
いま起きている“事実”をどう捉えるか。
ただ、これが難しい。
事実と自分の解釈がごっちゃになり、憶測や思い込みが真実のような顔をして紛れ込む。
それが判断を狂わせ、さらに気持ちを曇らせてしまう。
だからこそ、そんなときはペンを持って書き出すのがいい。
アナログだけれど、ノートに書かれた言葉は不思議と冷静さを取り戻させてくれる。
こんがらがった糸がスルスルと解けていくように、次に取るべき行動が見えてくる。
時は師走。
気持ちばかりが先に走りがちだけれど、こういう時季こそ、一つひとつ。
丁寧に、順番に。
それだけで、また流れは動き始める。
舘ひろし主演『港のひかり』を観てきた。
妻が観たいということで、行ったのだが正直あまり期待していなかった。
見る前は、「なぜ舘ひろし」という気がしていたのだがは、あの役にまさしくぴったりだった。
時代遅れの任侠道を生き続ける男という役所が舘さん演じる三浦
観終わってから、心の奥にずっと残る“何か”があった。
それが何なのか帰りの車の中で考えていたら、ふと腑に落ちた。
——ああ、三浦の姿に、父を見ていたんだ。
これまでいろんな人に愛情をもらってきたけれど、
一番近くで影響を受けたのはやっぱり父だった。
不器用で、真面目で、弱さを見せず、
誰かのために動くことを当たり前のように生きてきた人。
三浦の不器用な優しさや、人のために生きようとする姿が、
気づけば父の背中と重なっていた。
だからあの絶望のシーンがあんなにも胸に刺さったのだと思う。
映画の大切なテーマのひとつに、
「強さとは、人のために生きること」という言葉があった。
それは映画の登場人物のものでもあり、
同時に、父が生き方で示してきた言葉でもあった。
『港のひかり』は、ただの映画ではなくて、
私の中に静かに眠っていた“父への感謝”を
そっと照らし出すような時間だった。
最近あまり描かれなくなった父性がこの映画にはある。