二泊三日の大阪研修を終えて帰ってきた。
出発前はいつも「めんどくせ〜」と思うのに、不思議なことに数日で都会のリズムに体が馴染んでしまう。帰る頃には「帰りたくね〜」と感じるくらいに。
台風の予報に振り回され、飛行機は飛ぶのかとやきもきしたが、傘を広げることもなく帰路につけた。
そして、窓の外に広がったのは、黄金に染まりはじめた稲穂。湿り気を帯びた大阪の空気とはまるで違う、甘くて爽やかな香りが鼻をくすぐる。胸いっぱいに吸い込むと、身体の奥まで洗われるようだった。
高い空が、クラクラするほど広がっている。
その下で風に揺れる稲穂は、まるで波のようで、見慣れた景色なのにどこか異国の風にも見える。
「いい町だ」と思った。
旅を経て気づくのは、結局ここに帰ってきたいという気持ち。めんどくさいと出かけては、最後にこうして町を褒めている自分がいる。
おばあちゃんが旅行から帰るといつも言っていた言葉を思い出す。
──「やっぱり家が一番いい」。本日は、山形県産業資源循環協会庄内支部の視察研修にて大阪へ。
関西クリアーセンターという新しく完成した廃棄物の中間処理施設を見学させていただきました。最新の設備が並び、現場の工夫や熱意を肌で感じることができ、やはり実際に足を運ぶと得られるものがあるなあとしみじみ思います。
ところで、出張のときにいつも頭を悩ませるのが「お土産」。昔、ある先輩に「どこかに行ったら必ずお土産を買って帰りなさい」と言われたことがあります。「旅行中でも君のことを考えていたよ」というメッセージになるから、と。そのとき先輩は、「だから中身はなんでもいいんだ」と笑っていました。なるほど、確かにお土産って、モノより気持ちが大事なのかもしれません。
そんなことを思い出しながら、伊丹空港に降り立ってまず目に入ったのが本屋さん。店先に並んでいたのが『17歳のときに知りたかった 受験のこと、人生のこと。』という本でした。表紙の青い空に惹かれ、気づけば手に取っていました。
パラパラと目次をめくってみると──これ、俺も17歳で読みたかったかも、と心の中でつぶやきました。あの頃の自分が抱えていた不安や迷いに、きっと何かしらの答えやヒントをくれただろうなと。そんな本を、今の息子に手渡せるのはちょっとした贈り物だなと思います。
まあ山形でも買えるとは思いますが、こういう出会いって面白いですよね。旅先での偶然が、少しだけ特別な一冊にしてくれる気がします。今週は、山形県産業資源循環協会庄内支部のみんなと一緒に、大阪万博へ行くことになった。実は予約したパビリオンにはことごとく外れた。少し残念ではあるけれど、まあ、それも旅の味わいだ。思いどおりにいかないからこそ、予想外の面白さが待っている気がする。
出発の準備をしながら、今回はいつもと違う選択をした。革靴を履くと間違いなく決まるんだけれど、会場を歩き回ることを考えて、ドレス寄りのスニーカーにしてみた。軽やかな足取りで未来都市を歩くのも悪くない。テンションは革靴だけど、実用性はやっぱりスニーカーの勝ちだ。
それから日傘も持った。昔は「男が日傘?」なんて言われたものだけれど、今はすっかり常識になった。真夏の大阪で涼しい顔をして歩くなら、これがいちばんの相棒だろう。
会場は電子マネーオンリーと聞いて、PayPayと交通系ICの両方をしっかりチャージして準備完了。移動はICカード、ポイントはPayPay、万が一のトラブルにも安心だ。
そして何より楽しみにしているのが、日本館と海洋ゴミのパビリオン。海と一緒に生きてきた町に暮らす者として、このテーマにはやっぱり惹かれるし、日本館も外せない。閉館時間まで粘ってでも見たいと思っている。仕事のヒントになるだけじゃなく、自分の暮らしの中にも何か持ち帰れそうな気がしている。
きっと当日は人の波に揉まれ、足もクタクタになるだろう。それでも、新しい景色や考え方に出会えるなら、それだけでこの旅は十分だと思う。月曜日から九月が始まる。
天気予報は「まだ暑い日が続きます」と言っているけれど、
朝の風のどこかに、秋の気配がまぎれこんでいるのを感じる。
田んぼの稲が陽を浴びて色づきはじめ、
虫の声が夜をにぎやかにしはじめると、
季節は何事もなかったように、静かに歩を進めていく。
学生の頃は、新学期が始まるたびに
席替えやクラス替え、担任の先生の交代があって、
気持ちの切り替えは自然にやってきた。
けれど大人になると、同じ机と同じ顔ぶれの中で、
昨日と今日と明日が、なめらかにつながっていく。
気づけば、季節だけが先に進んでいる気がするのだ。
だから私は九月になると、手帳を新しくする。
スマホで十分な時代に、わざわざ紙のページをめくるのは、
自分の時間に小さな節目をつくりたいからだ。
真っ白なページを前にすると、
これからの季節をどう過ごそうかと
少しだけわくわくしてくる。
周回遅れのトップランナーなど存在しない。
変化は、自分で起こすものだ。今朝、長女が東京へ戻っていった。庄内発羽田行きの朝一便でそのまま職場へ向かったらしい。久しぶりの帰省で家の空気にすっかりリラックスしたのか、昨夜はいつになく上機嫌だった。
少しお酒も手伝って、よく笑い、よくしゃべり、そして最後はぐっすり眠る──そんな無邪気な姿に、家族みんなでつい笑顔になった。まるで子どもの頃に戻ったようなひとときだった。
そして今回の長女の帰省をきっかけに、小林家のLINEグループがにわかに活気づいた。東京暮らしの次女と2人を加えてリニューアルしたとたん、未読メッセージが20だ30だと、一気ににぎやかになったのだ。
スタンプが飛び交い、誰かが写真を送ればすぐにコメントがつき、気づけば話題はあっちこっちに脱線していく。どうやら家族LINEが楽しくて仕方ないらしい。離れて暮らしていても、こうして家族の会話に混ざれるのが嬉しいのか、それとも少しだけ寂しいのか。
スマホの向こうで笑っている顔を想像しながら、こちらも返信する。離れていても家族の声がすぐそばにある──そんな時代になったものだ。
そして長女曰く、「お父さんはツンデレ」なのだそうだ。つかさず妻が末の娘に「ツンデレって何?」と聞いて、みんなでまた大笑いした。