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毎日ブログ

2025/12/13
756/1000 整理収納アドバイザーは魔法使いではない   

整理収納アドバイザーとして、十数年活動してきた。

整理の大切さについては、もう嫌というほど分かっている。

それでも――

人のモノを片付けるという仕事は、いつまで経っても難しい。

多くのクライアントは、どこかで「魔法のように解決する」ことを期待している。

来てもらえさえすれば、あっという間に片付き、悩みが消える。

そんなイメージを抱いている方も少なくない。

けれど、整理収納アドバイザーは魔法使いではない。

まず、私は当事者ではない。

そのモノや情報が、

なぜそこにあるのか、

どれほど大切なのか、

それが分からないところから始まる。

フローなのか、ストックなのか。

個人のものなのか、家族や職場で共用しているものなのか。

そこが見えない。

さらに厄介なのは、

モノや情報が、あちこちに散らばっていることだ。

ほとんどの方は、全体像を把握していない。

断片的には分かっているけれど、

それらがどうつながっているのかまでは見えていない。

「なんとなく不安」

「管理できていない気がする」

そんな感覚だけが残っている。

だから私は、

一つひとつ、ほじくり出すように確認していく。

これは要るのか、要らないのか。

どれが重要で、どれがそうでもないのか。

誰が使っているのか。

本当に共有が必要なのか。

ここまでが、ようやく第一段階だ。

そのうえで初めて、

モノや情報を一元管理できるフォーマットをしつらえる。

フローとストックが誰にでも分かるルールを考え、

迷わず戻せる場所を決め、

入れ物を整え、

日々の管理まで含めて設計する。

モノ。

情報。

フロー。

ルール。

入れ物。

そして、日常の運用。

ここまで整って、やっとゴールが見えてくる。

そんなこんなで、

今日一日かけてできあがったのは、たった二枚のフォーマット。

紙にすれば、ほんの二枚。

見た目は地味で、誰でも作れそうに見えるかもしれない。

けれど、その二枚の裏には、

考えた時間と、迷った跡と、

「これなら続くだろうか」という想像が詰まっている。

一日仕事で、成果はフォーマット二枚。

なかなか骨の折れる仕事だ。

それが、整理収納アドバイザーという仕事。

片付ける人ではなく、

「考える土台」をつくる人なのだと思っている。


そしてこのスキルを持っていることに、心から感謝している。
自分にしか救えないクライアントがいるからだ。

2025/12/11
754/1000 「モノを本当に大切にする」とは   

モノを本当に大切にするとはどういうことだろう。

新品を傷つけないように扱うとか、高い物を大事に使うことだけではない。

私がいちばん大切だと思っているのは、十分に働かせることだ。

もちろん、こき使うという意味ではない。

雑に扱って壊れるまで使い倒すこととも違う。

そのモノの良さを引き出し、役割を果たしてもらうということだ。

十分に働かせるとは、手入れをきちんとし、心を込めて大切にすること。

どこから来たのか、どんな特長があるのか。

そうした由来や良さを理解し、活かそうとする姿勢でもある。

そう考えると、たくさんのモノを持つことは難しい。

ただ所有しているだけでは、十分に働かせるところまではいかないからだ。

私自身、趣味のモノになるとつい危うい。

買ったばかりなのに、もう次は何を買おうかと考えてしまう。

これは「買う」行為が好きなだけで、手に入れる瞬間の高揚感――

いわば一種の麻薬のようなものだろう。

けれど、本当にモノを生かすとは、

オンリーワンの契りをどれだけ結べるかということではないか。

同じような物をいくつも持つのではなく、

「これ」と決めた一つとしっかり向き合うこと。

手入れをしながら、その良さを知り、働いてくれたことに感謝する。

そうやって関係が深まったモノは、

ただの道具ではなく、自分の暮らしや仕事を支えてくれる大切な存在になる。

大切にするとは、そういう向き合い方のことだと思う。

2025/12/09
752/1000 人に磨かれる、という話。   

昔、「ダイヤモンドはダイヤモンドで磨かれる。人も人から磨かれるんだよ」

そんな言葉を教えてもらったことがある。

その時は妙に感動して、「なるほどな」と思った。

あれからもう20年ほど経った。

この半年を振り返ると、まさにその言葉の通りだった気がする。

いろんな人に出会って、いろんなことを言われたり、経験したりして、

そのたびに自分のクセとか、弱さとか、変なプライドとかが浮き彫りになった。

正直、昔の自分はけっこう傲慢だった。

傲慢っていうのは、自分を必要以上に大きく見せたり、

人の意見を聞く余裕がなくなったり、

「まあ当然だろ」みたいな態度をとってしまう、あの感じだ。

今思えば、ただ弱さを隠したかっただけなんだけど。

そんな自分が、ここ半年でちょっとは削られたというか、

角が取れたというか……まあ、磨かれたんだと思う。

先日、その“試験みたいなもの”がやってきた。

別に大げさな話じゃなくて、現実の中に突然やってくる、

逃げられないタイプの出来事だ。

あれが合格だったのか、不合格だったのかは分からない。

もしかしたら10年後になって「あぁ、あれか」と気づくのかもしれない。

ただ一つだけ言えるのは、

どんな時代になっても、人は人によってしか磨かれないということだ。

20年前に聞いた言葉は、やっぱり本当だった。

で、今はこう思う。

その先に何があるのか。

そんなヤボなことは考えるまでもない。


2025/12/07
750/1000 日曜日くらい、ぐうたらしていいらしい   

昨日、妻と焼き鳥屋さんへ行った。

ここは、いつもごみ収集でお世話になっているお客様のお店だ。

妻を連れて行くのは初めてで、前から一度案内したいと思っていた。

とはいえ、最近は日曜日も仕事が続いている。

その“罪滅ぼし”というか、“ご機嫌取り”というか、

まあ、そんな気持ちも正直あった。

カウンターに並んで座ると、話題があっちへこっちへ飛ぶ。

家のこと、子どものこと、どうでもいいようなこと。

私はといえば、弱いお酒をいつも油断して飲んでしまい、

案の定けっこう酔っ払ってしまった。

酔いが回った頃、妻がぽつりと言う。

「日曜日くらい、ぐうたらした方がいいよ。」

これが、私の最も苦手とすることだ。

日曜日も仕事を入れてしまう。

“やるべきこと”を探してしまう。

止まったら倒れる自転車のように、つい動き続けてしまう。

でも、妻の言葉は妙に胸に残った。

ぐうたらすることは、ただのサボりじゃなくて、

気持ちに余白をつくることなのかもしれない。

焼き鳥をつまみながら、

「たまには止まるのも悪くないか」と

ほんの少しだけ思えた夜だった。

今日もまた、つい動き回ってしまいそうだけれど、

妻のあの一言を、しばらくお守りにしてみようと思う。

2025/12/05
748/1000 お歳暮に映る、時代のかたち   

今日のブログは、年中行事のお歳暮配りの話。

先代の頃から続けてきた習慣も、年々その数は少なくなっている。

何より今年は、お歳暮の仕入れ先が二つも無くなった。

店を閉める人の事情も、続けられなくなる背景も、それぞれにあるのだろう。

時代が静かに形を変えていくのを、こういう場面でふと実感する。

正直、「これって本当に意味があるんだろうか」と

胸の奥でつぶやく自分もいる。

効率や合理化だけを考えれば、

真っ先に見直されるべきものなのかもしれない。

それでも先代から受け継いだ“変わらないもの”がある。

年の瀬に「ありがとう」をかたちにするという、不易のこころ。

これは簡単に手放せるものではない。

頂くカレンダーも多く、

やっぱりこういう時間は悪くない、とどこかで思う。

変わっていくもの(易)と

変わらずに持ち続けたいもの(不易)。

そのあいだで揺れながら、

今年もひとつずつお届け中。
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