GWが明けて、今日から通常営業。
しかし、当社のある鶴岡東工業団地は、まだどこか静かだ。長めの連休を取っている会社も多いのだろう。工場の音も少なく、連休の余韻がまだ漂っている。
その一方で、私たちの仕事は一気に忙しくなる。
鶴岡市の燃やすごみ収集が一日お休みだったため、今日はとにかくゴミが多い。
GW中、人が動けばゴミも動く。
家の片付けをした人。
親戚が集まった家。
観光地や飲食店。
楽しい時間の後には、必ずその“痕跡”が残る。
そしてそれを回収するのが、私たちの仕事だ。
一台のパッカー車で十数トン。
二人で一日かけて回収する。
ふと計算してみる。
もしゴミ袋一つが3kgだとすると——
10000÷3≈3333
10トンで約3,300袋。
もちろん実際には軽い袋も重い袋もあるが、それでも気が遠くなるような数だ。
けれど現場では、それを「3,300袋だ」などとは考えない。
ただ一袋ずつ積んでいく。
止まって、降りて、持ち上げて、走る。
その繰り返し。
“コツコツ頑張る”という言葉は、地味な表現に聞こえる。
しかし本当は、
気の遠くなるような量を、
気の遠くならない顔で積み上げていくことなのだと思う。
GWの楽しかった思い出も、
賑わった街も、
誰かの暮らしも、
こうした名もない反復によって支えられている。
そして世の中は、案外こういう「コツコツ」でできているのだ。
ゴールデンウィークといえば、どこかへ出かけるというよりも、私は“整える時間”にあてることが多い。
お片づけもそうだが、この時期に必ずやるのが、革製品の一斉メンテナンスだ。
鞄、革ジャン、時計のベルト、財布、ベルト、そして革靴。
こうして並べてみると、身の回りは思っている以上に革製品であふれている。
一つひとつ手に取り、ブラシをかけていく。
それだけでも、見違えるように表情が変わるから面白い。
少し曇っていた革が、スッと息を吹き返すような瞬間がある。
ブラッシングするだけでも見違えるから、革製品には自然と愛着が湧いてくる。
買ったばかりの頃の“整いすぎた顔”も悪くないが、やはり惹かれるのは、使い込まれて少しずつ変わっていくその表情だ。
最初の印象とは違って、時間と手入れを重ねるほどに、どんどんいい顔になっていく。
傷やシワさえも、ただの劣化ではなく、自分の時間が刻まれた証のように思えてくる。
新品の輝きとは違う、手入れされたものだけが持つ艶。
それはどこか、人にも通じるものがある気がする。
だからまた、手に取る。
そして静かに、ブラシをかける。
モノを整える時間は、自分を整える時間でもある。
今年のゴールデンウィークも、そんなふうに過ぎていく。
Netflixのドラマ「地獄に堕ちるわよ」を観終えた。
もともとは妻が観ていたものを、横でなんとなく眺めていただけだったのに、気づけば最後までしっかり付き合っていた。
この作品は、「大殺界」という言葉でも知られる占い師、細木数子をモデルにした物語。
自伝の執筆を依頼された作家の視点を通して、ひとりの女性の波乱に満ちた人生が描かれていく。
占いの話のようでいて、実はとても人間くさい。
観終わって残ったのは、ひとつの気づきだった。
一人の女性の葛藤と同じ構造が、立ち上がろうと必死だった日本そのものだったのではないか。
焼け野原から始まる人生。
何もないところからのスタート。
今の私たちには想像しきれないけれど、
あの時代は「ない」からこそ前に進むしかなかった。
迷っている余裕なんて、きっとなかったのだと思う。
人の痛みを知っている人は、強い。
でも同時に、とても繊細でもある。
人の気持ちが分かるからこそ寄り添える。
でも分かるからこそ、自分の中の欲望や葛藤とも向き合うことになる。
その姿は、ただの一人の女性ではなく、
どこか時代そのものの姿にも見えた。
「大殺界」という言葉も、そう。
正しいかどうかよりも、
その言葉にすがりたくなる気持ちがあったということ。
不安な時、誰かに「大丈夫」と言ってほしい。
はっきりとした答えが欲しい。
それは、あの時代を生きた人たちも、
そして今の私たちも、きっと同じだ。
戦後の時代は、優しさよりも強さが求められた。
迷わず決めること。
前に進み続けること。
それが社会を動かし、日本を立ち上がらせた。
でもその裏側には、
誰にも見せない孤独があったのだと思う。
観終わって、ふと父親世代のことを思った。
多くを語らず、ただ働き続ける背中。
あの姿の中には、きっと言葉にしない思いがたくさんあったのだろう。
あの時代を生きるというのは、
想像以上に大変で、そして静かな孤独と共にあったのかもしれない。
欲望は、悪いものではないのだと思う。
何もないところから立ち上がるためのエネルギー。
誰かを守るための力。
でもその強さは、ときに自分自身も揺さぶる。
このドラマを観て、
少しだけ、あの時代とそこに生きた人たちが近くなった気がした。
今日は妻の誕生日ということで、小林家のLINEが朝からにぎやかだ。
子どもたちからのメッセージが次々と届き、花まで贈られてくる。その人気ぶりには、思わず感心してしまう。
これが私の誕生日となると、こうはいかない。
プレゼントもあったりなかったり。LINEも静かなものだ。まあ、それはそれでいいのだけれど。
でも当の本人に言わせると、誕生日はあまり来てほしくないものらしい。
年齢のこともあるのだろうし、気恥ずかしさもあるのだろう。
それでもこうして家族から声が届き、花が届く様子を見ていると、誕生日というのはやはり悪くない日なのだと思う。
日々の暮らしの中で、子どもたちに寄り添い、声をかけ、気にかけ続けているのは妻の方だ。そうやって積み重ねてきた時間が、こういう日にちゃんと形になるのだろう。
誕生日のにぎわいは、その人が歩いてきた証のようなものだ。
会社の帰りに、何か甘いものでも買って帰ろうかなと思っている。
花ほど立派ではないけれど、今日という日に「おめでとう」を添えるにはちょうどいい気がする。
それにしても、妻の人気にはやっぱりかなわないなと思う一日だった。
最近、私の仕事の中で欠かせない作業のひとつに、産業廃棄物のマニフェスト発行がある。
マニフェストとは、産業廃棄物がどこから出て、誰が運び、どのように処理されたのかを最後まで追跡するための書類だ。
いわば「ごみの履歴書」のようなものだと思っている。
廃棄物は出したら終わりではない。
きちんと処理されたことを確認して初めて、責任が完結する。
そんな大切な役割を担う仕組みとして、最近では電子マニフェストも普及してきている。けれど現場では、まだまだ紙マニフェストが圧倒的に多いのが実情だ。
そしてその紙マニフェストを印字するのが、ドットプリンターである。
これが、とにかくうるさい。
ガガガガガガ……と鳴り続け、隣の人との会話が聞こえなくなるほどの音を立てる。静かな事務所なら、なおさら存在感は大きい。
正直に言えば、「もう少し静かにならないものか」と思うこともある。
けれど、このプリンターが止まると仕事も止まる。
マニフェストが出なければ、運搬もできない。
処分も進まない。
つまり現場が動かなくなる。
そう考えると、あの大きな音は、仕事が動いている音でもあるのだと気づく。
仕事に携わって初めて分かる、道具のありがたさというものがある。
普段は気にも留めない一台のプリンターが、実は社会のルールを支え、地域の安心を支えている。
今日もまた、事務所のどこかであの音が鳴っている。
少しうるさいけれど、頼もしい音だなと思う。
892/1000 うるさいプリンター
最近、私の仕事の中で欠かせない作業のひとつに、産業廃棄物のマニフェスト発行がある。マニフェストとは、産業廃棄物