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毎日ブログ

2026/06/29
942/1000 美容グッズが集まる男   

家族が使わなくなったコスメや美容グッズは、なぜか私のところへ集まってくる。

一番多い理由は、「肌に合わなかった」だ。

化粧水や美容液、乳液にクリーム。

気づけば洗面所には、使いかけのボトルがずらりと並んでいる。

ありがたいことなのだが、あまりに種類が多くて、どれをどんな順番で使えばいいのか分からない。

そこで妻が、それぞれのボトルにマジックで「①」「②」「③」と順番を書いてくれた。

私はその番号どおりに使うだけである。

 

どうやら私の肌は丈夫らしい。

「肌に合わない」という経験がほとんどなく、どんな化粧水や美容液でも受け入れてしまう。

だから減るスピードより、集まるスピードの方が早い。

 

昨日、その仲間に新しく加わったのが、リファのハートブラシだ。

ハート型で持ち手のないデザイン。シャンパンゴールドに輝く姿は、いわゆる中年男性が持つ定番とは正反対である。

 

正直、最初は少し気恥ずかしかった。

しかし、このブラシで髪をなでると驚くほど艶が出る。

どんな仕組みなのかは分からないが、「なるほど、人気があるわけだ」と妙に納得してしまった。

 

こうしてまた一つ、美容グッズの仲間が増えた49の夏、である。


2026/06/27
940/1000 思いやりと優しさの違い   

先日、「優しさは心になくてもできる。思いやりは心が伴うもの。」という話を聞いた。 

なるほど、と感じた。

確かに、優しい言葉を掛けたり、手を差し伸べたりすることは、マナーや習慣としてもできる。

 

しかし思いやりは違う。

 相手が今どんな気持ちなのか。

何に困り、何を必要としているのか。

 それを想像し、相手の立場に立とうとする心があって初めて生まれるものなのだと思う。

 

そして、さらに考えてみると、思いやりは優しさだけではない。

 時には厳しい言葉を掛けることもある。

 失敗を見過ごさず、あえて伝えにくいことを伝えることもある。

 その場では嫌われるかもしれない。

 それでも相手の成長を願い、未来のためになると信じて伝える。

 

それもまた、思いやりなのだろう。

 優しさと厳しさは反対のものではない。

 

どちらも、思いやりという土台の上に成り立つものなのだ。

 相手のために優しくする。

 相手のために厳しくする。

その判断が自分の感情や都合ではなく、「相手にとって何が一番良いか」という願いから生まれるなら、それは真の思いやりと言えるのではないだろうか。

 

人との関わり方に迷った時は、「優しくするべきか、厳しくするべきか」と考える前に、一度立ち止まってみたい。

 この人の成長を、本当に願えているだろうか。

 

その問いへの答えが、自然と次の一歩を教えてくれるような気がしている。


2026/06/25
938/1000 デザインは「なぜ」から始まる   

今日は、「デザイン的発想力 次の一手を引き出す みんなのデザイン」というワークショップに参加してきた。

デザインというと、これまでは見栄えを良くしたり、色や形を整えたりすることだと思っていた。

しかし、今回参加してそのイメージは大きく変わった。

デザインとは、単に美しく見せる技術ではなく、課題を見つけ、より良い未来をつくるための考え方だったのである。

特に印象に残ったのが、「Why・How・What」という考え方だ。

何かを始めるとき、多くの人は「何をするか(What)」から考えがちである。

しかし、本当に大切なのは、その前にある「なぜ(Why)」だ。

なぜ、それをするのか。

誰のためにするのか。

どんな未来を目指しているのか。

その目的がはっきりすると、「どう実現するか(How)」という考え方や行動が決まり、最後に「何をするか(What)」という具体的な取り組みへとつながっていく。

これは仕事だけの話ではない。

何か新しいことを始めるときも、行き詰まったときも、「何をすればいいのだろう」と考える前に、「なぜ始めたのか」と自分に問いかけてみる。

すると、不思議と次の一手が見えてくることがある。

デザインとは、形を整えることではない。

目的を明確にし、未来への道筋を描くことなのだ。

今日のワークショップは、デザインに対するイメージを大きく変えてくれた一日だった。今後は「何をするか」だけではなく、「なぜするのか」を意識しながら、物事に向き合っていきたい。


2026/06/23
936/1000 心の矢印   

気持ちの切り替えというのは簡単ではない。

失敗した時はもちろん、腹が立った時や嫌なことがあった時も、私たちの心はその出来事に縛られてしまう。

一度噛んだアナウンサーが続けて噛んでしまうことがあるという。

気持ちが乱れたというより、心の矢印が「今伝えること」ではなく、「失敗した自分」に向いてしまうからなのかもしれない。

これは私たちの日常でも同じだ。

失敗をした時は、

「なぜあんなことをしたのだろう」

「もっと上手くできたはずだ」

と考える。

腹が立った時は、

「なぜあんな言い方をするのだろう」

「自分は悪くない」

「相手が間違っている」

と考える。

不安な時は、

「もし失敗したらどうしよう」

「どう思われるだろう」

と考える。

どれも違う感情のように見えるが、共通していることが一つある。

心の矢印が自分に向いているということだ。

だから失敗を挽回しようとして空回りする。

だから余計なことを言ってしまう。

だから相手を責め続けてしまう。

気持ちの切り替えで大切なのは、まずその状態に気づくことだと思う。

今、自分は引きずっているな。

今、自分は腹を立てているな。

今、自分は心の矢印が自分に向いているな。

まるで鏡を見るように、自分自身を少し離れたところから眺めてみる。

そしてもう一つ大切なのが、「今ここ」を意識することだ。

過去は変えられない。

未来もまだ存在しない。

あるのは今この瞬間だけである。

目の前の仕事に集中する。

目の前の人の話を聞く。

次の一手を丁寧に打つ。

そうやって心の矢印を「今ここ」へ向け直していく。

すると不思議なことに、気持ちは少しずつ整理されていく。

気持ちの切り替えとは、感情を無理に変えることではない。

自分の状態に気づき、心の矢印を「今ここ」へ向け直すこと。

きっと、そういうことなのだと思う。


2026/06/21
934/1000 黒い服と紺の服   

気が変わる時というのがあると思う。

最近、そんな感覚がある。

急に講演依頼が入ったり、手相を見てあげると言われたりする。なぜか明るい色の服にも目が行くようになった。

そんな中、久しぶりに催燎平氏の『運の本質』を読み返してみた。

そこには「なりたい自分を手に入れるための6つの習慣」が紹介されており、その第一に「明るい色の服を着る」とあった。

催氏は開運アドバイザーとして多くの相談者に接する中で、人生のトラブルを抱えた人の多くが黒っぽい服を着ていたことに気づいたという。

もちろん、黒い服が悪いわけではない。

私も黒は好きだ。

時計も靴も合わせやすいし、引き締まって見える。失敗も少ない。

しかし、今回この本を読みながら、自分が黒を選ぶ時の気持ちを少し振り返ってみた。

すると、そこにはどこか「鎧」のようなものがあった気がする。

話しかけられたくない。

弱みを見せたくない。

強く見られたい。

威厳を持っていたい。

つまり私は、完全無欠を装っていたのかもしれない。

立場もあるのだろう。迷いや弱さを見せず、いつも答えを持っていなければならないとも思っていた。

 

一方で、先日ネイビーのサマーカーディガンを選んだ。

正直、少し冒険だった。

ブラックほど万能ではない。ネットで買うので、画面からはやはり濃淡が分からないし、

合わせ方が複雑になる可能性をはらんでいる。

 

黒が「失敗しない選択」だとしたら、ネイビーは「可能性を選ぶ選択」かもしれない。

完璧でなくてもいい。

迷いながらでもいい。

それでも前に進めばいい。

そんな気持ちが以前より強くなっている気がする。

運が変わったのか、自分が変わったのかは分からない。

ただ、最近の出来事を振り返ると、少し流れが変わってきているような気がする。


2026/06/19
932/1000 商品よりもおばちゃんの顔   

末娘がコンビニでアルバイトを始めた。

高校生になって少し積極的になったように感じる。学校とは違う世界で、多くの人と接しながら働いている姿を見ると、親としてもうれしい。

先日、仕事の様子を聞いてみた。

「一番売れる商品は何?」

「タバコ。」

これはなんとなく予想がついた。

「じゃあ、一番驚いたことは?」

「葉巻をカットする工具だけ買って帰った人がいた。」

思わず笑ってしまった。世の中にはいろいろな人がいるものだ。

そんな話を聞きながら、ふと思い出した。

私が18歳の頃、この町にはまだコンビニがなかった。都会へ行った時、住宅街の中にまでコンビニがあり、夜でも明るく営業していることに驚いた記憶がある。

そしてさらに思い出すのは、子どもの頃に通った近所のタバコ屋兼駄菓子屋だ。

100円玉を握りしめて店へ向かう。10円のうまい棒、20円のガム、30円のチョコ。限られたお小遣いの中で、どれを買おうか真剣に悩んだ。

今思えば、あの店に通っていた理由はお菓子だけではなかった。

そこにはいつもおばちゃんがいた。

「学校終わったのか」

「今日は何買うんだ」

そんな何気ない会話を交わしながら、子どもたちは店に集まった。

だから私は、あの店の商品よりもおばちゃんの顔を覚えている。

一方で、娘の働くコンビニでは勤務中のマスク着用がルールだという。知っている人が来店しても気付かないことがほとんどらしい。

実際、私もコンビニ店員さんの顔を思い出せない。まるで街ですれ違う人たちのようだ。

便利で効率的な社会になった。欲しいものはいつでも手に入り、レジで長話をする必要もない。

けれど、駄菓子屋には商品だけではない何かがあったように思う。商品を買いに行っていたはずなのに、人に会いに行っていた部分もあったのかもしれない。

もちろん、どちらが良い悪いではない。時代が変わったのだ。

今となっては何を買ったかはほとんど覚えていない。それでも、おばちゃんの笑顔だけはなぜか今でもはっきり思い出せる。

もう10年もしたら、娘もコンビニでアルバイトをした頃の話を昔話として語るのだろう。

「昔はコンビニのレジにも人がいたんだよ」

そんな時代が来るのかもしれない。


2026/06/17
930/1000 物を活かせる自分になる   

今日は、山形県倫理法人会女性委員会主催のお片づけ講座で講師を務めた。

久しぶりのお片づけ講座である。

 

持ち時間は60分。限られた時間の中で、どうすれば参加者の皆さんに「片づけられる自分」で帰っていただけるか。そのことを考えながらお話しさせていただいた。

お片づけというと、「何を捨てるか」に意識が向きがちである。しかし、本当に大切なのは「何を残すか」、そして「どう活かすか」ではないだろうか。

 

物にはそれぞれ役割がある。

ハサミは切るために、本は読まれるために、服は着られるために存在している。

それなのに、引き出しの奥や押し入れの中で眠ったままになっている物も少なくない。

 

物が悪いわけではない。その物を活かしきれていない自分との関係に課題があるのである。

人にも適材適所があるように、物にも居場所がある。

必要な場所に置かれ、必要な時に使われることで、物は初めてその価値を発揮する。

 

だから、お片づけとは単なる整理整頓ではない。

物と向き合い、物との関係を見直し、物を活かせる自分になるための取り組みなのである。

そして不思議なことに、物を活かせるようになると、時間の使い方も、人との関わり方も少しずつ変わってくる。

 

久しぶりの講座だったが、改めてお片づけの原点を思い出させてもらった。

物を活かせる自分になる。

それは、よりよく生きるための第一歩なのだ。


2026/06/15
928/1000 さて、強運の出番だ   

私は自分のことを、運のいい方だと思っている。

もちろん、嫌なことや困ったことが起きないわけではない。

むしろ人生を振り返れば、予想もしない出来事や思い通りにならないことの連続だ。

先日もそんな出来事があった。

8月に新しい特殊車両が納車される予定なのだが、入れ替え予定の現役車両が故障してしまったのである。エンジンの載せ替えが必要とのことで、修理費は200〜300万円。車両は平成25年式で、もともと新車が来たら売却する予定だった。

「あと少しだったのに・・・」

そんな気持ちにならないと言えば嘘になる。

しかし、こんな時に思うのである。

本当に運が悪かったのだろうか、と。

もし新車の発注をしていなかったらどうだっただろう。もしあと数年この車に頑張ってもらうつもりだったらどうだっただろう。

あるいは、お客様のもとで作業中に止まっていたら。

そう考えると、このタイミングで故障したことにも何か意味があるような気がしてくる。

運のいい人というのは、トラブルが起きない人ではない。

起きた出来事をどう受け止めるか。そして、その出来事の中にどんな意味を見出すか。

そこに違いがあるのかもしれない。

長年頑張ってくれた車は、最後の最後で大きな宿題を残してくれた。

しかし、それも何か意味があってのことだろう。

運がいいのか、強運なのかは分からない。

ただ、これまでも振り返れば「あの時は困ったな」と思った出来事が、後になってみると良い方向へ導いてくれたことが何度もあった。

だから今回もきっと大丈夫。

さて、この出来事に私の強運がどう発揮されるのか。

少し楽しみにしながら、見守りたいと思う。

2026/06/13
926/1000 夜のさくらんぼ狩り   

父がさくらんぼを買ってきた。

山形の6月と言えば、やはりさくらんぼだ。

たくさん食べる果物ではないかもしれないが、赤く艶やかな実は見ているだけでも楽しい。まるで季節そのものが食卓に並んだような気分になる。

この時期になると、あちこちで「さくらんぼ狩り」の看板を目にする。

私も子どもたちが小さい頃、一緒に出かけたことがある。様々な品種を食べ比べながら歩くのはなかなか楽しく、今でも良い思い出だ。

先日テレビを見ていたら、そのさくらんぼ狩りを夜に開催している農園が紹介されていた。

これは面白いと思った。

さくらんぼ狩りというと、家族連れが昼間に楽しむものというイメージがある。しかし、その農園では夜にライトアップを行い、星空を眺めながらさくらんぼ狩りを楽しむという。

同じさくらんぼ。

同じ農園。

なのに、昼を夜に変えただけで、まったく違う魅力が生まれている。

家族向けだったものが、若いカップルや大人向けの体験にもなる。

これは経営の世界でいう「市場開拓」という考え方に近い。

新しい商品を作るのではなく、今ある商品を別のお客様に届ける。

私たちはつい、「新しいことをやるには新しい商品が必要だ」と考えがちだ。しかし実際には、見せ方や届ける相手を変えるだけで、新しい価値が生まれることも少なくない。

そう考えると、身の回りにはまだまだ可能性が眠っているように思う。

山形の6月の風物詩であるさくらんぼ。

そのさくらんぼから、商売のヒントをひとついただいた気がした。

2026/06/11
924/1000 問題児の役割   

今朝、先輩経営者の話を伺った。

社員同士の対立や、一部社員の暴走に悩まされたことがあったそうだ。

その時、ある人から言われた。

「社長としての覚悟が足りない」

なかなか耳の痛い言葉である。

さらに印象的だったのは、その後の話だった。

振り返ると、そうした問題を起こす社員は一人ではなかったという。

時代ごとに姿を変えながら、何度も現れた。

そして先輩はある時、こんなことを思ったそうだ。

「あの人たちは、私に何かを教えるために現れていたのではないか」

言うべきことを言うこと。

決めるべきことを決めること。

社長としての覚悟を持つこと。

そんなことを教えに来てくれていたのかもしれない、と。

実は私も、その話を聞いて妙に納得してしまった。

会社だけではない。

人生でも、なぜか同じような問題が繰り返し現れることがある。

相手は違うのに、なぜか似たような出来事が起きる。

もしかすると、それはまだ宿題が終わっていないということなのかもしれない。

もちろん、問題はない方がいい。

けれど問題を運んでくる人もまた、自分に何かを気づかせる役割を持っているのだろう。

そう考えると、少しだけ見え方が変わる。

感謝を忘れず、言うべきことは言う。

そして決めるべきことは決める。

経営とは、その繰り返しなのかもしれない。

2026/06/09
922/1000 10年目の交差点   

社長になって今月で丸10年。

新社屋への引越し、コロナ禍、ベテラン社員たちの定年退職、そして新しい世代の入社。

振り返れば、変化の連続だった。

今、私はその過渡期のど真ん中にいる。

次の世代へバトンを渡す準備もしなければならない。

同時に、その次の未来に向けて新しい手も打たなければならない。

この一年は、おそらくこの10年の総仕上げとなる一年だ。

10年なんとかやって来て

希望のある人生、希望のある会社をつくるのが社長の仕事なのだと思う。

世の中には不安も課題もたくさんある。

それでも、「明日は今日より少し良くなるかもしれない」と思える会社でありたい。

社員がそう思えれば、お客様にも地域にも、その希望は伝わっていく。

10年目の交差点。

どんなことがあっても希望を掲げて行こう。


2026/06/07
920/1000 たった200円で気分が上がる   

私は掃除はあまり好きではないが、整理は好きだ。

妻は掃除は好きだが、整理は苦手。苦手あるあるで妻は収納用品をとにかく買ってくる。

 

お片づけのプロとして言わせてもらうと、収納用品は最後の最後に考えるもの。

 

まず目的を決める。

次に物を減らす。

使う頻度や使う場面を考え、

そして定位置を決める。

収納用品はその後だ。

だから私は自宅では収納グッズをほとんど買わない。妻が買ってきて使わなくなった収納用品を再利用することが多いからだ。

 

ところが今回、珍しく収納グッズを買った。

セリアのクリアトレーを二つ。

合計200円である。

 

収納するのは時計の替えバンドと専用工具、それにクロスやちょっとした小物たち。

これまでも収納はできていた。しかし、妻のお下がりの収納用品だと、形も色も素材もまちまちで、どこか間に合わせ感がある。

 

機能的には何の問題もない。

けれど、眺めた時の気分が違うのだ。

透明なトレーを二つ重ねただけなのに、工具はここ、クロスはここ、替えバンドはここ、と景色が整う。

 

なんだかんだ言っても収納用品にはやはりワクワクさせられる。

たった200円。

高価な買い物ではない。

しかし、こういう小さな満足感は案外大きい。

人の気分というのは面白いもので、たった200円で上がってしまうのである。


2026/06/05
918/1000 やらない勇気   

先日、経営の勉強会で「アンゾフのマトリックス」という考え方を学んだ。

会社の成長戦略を、

①市場浸透

②商品開発

③市場開拓

④多角化

の4つに分類するというものだ。

図にするとシンプルなのだが、眺めているうちに、経営の本質が見えてくる。

私たちはつい、「新しいこと」に目が向く。

新規事業。

新サービス。

新しい市場。

経営者であればなおさらだろう。

何か面白いことはないか。

新しい収益源はないか。

そう考えること自体は悪くない。

しかし、この理論の面白いところは、「どこへ行くか」だけでなく、「どこへ行かないか」も示してくれることだ。

特に④の多角化。

新しい商品を、新しい市場へ投入する。

夢はある。

しかし同時に、最もリスクが高い。

商品も分からない。

お客様も分からない。

言ってみれば、地図もコンパスも持たずに航海へ出るようなものだ。

一方で②の商品開発や③の市場開拓は、すでに持っている強みを活かせる。

技術。

経験。

人脈。

信用。

そうした積み重ねを土台にして前へ進むことができる。

考えてみれば当たり前の話だ。

野球が得意な人が、まずは野球を伸ばす。

料理が得意な人が、まずは料理で勝負する。

それなのに会社になると、なぜか急に全く違う競技に挑戦したくなる。

アンゾフのマトリックスは、その暴走しがちな気持ちを静かに引き戻してくれる。

「あなたの強みは何ですか?」

と問いかけてくるのである。

経営の仕事は、新しいことを始めることだと思っていた。

しかし最近は少し違う気がしている。

むしろ、

「やらないことを決める」

ことの方が大切なのかもしれない。

限られた人員。

限られた時間。

限られた資金。

だからこそ、自分たちの強みが生きる場所に集中する。

遠回りに見えて、それが一番確実な成長への道なのだろう。

アンゾフのマトリックスは、事業を増やすための理論ではない。

自分たちの立ち位置を見失わないための地図なのだと思う。

2026/06/03
916/1000 談志と家財整理    

先日、42歳頃の立川談志による「へっつい幽霊」を聴いた。

やはり名演だった。

私が生まれた頃の古い録音にもかかわらず、ぐいぐいと引き込まれる。

今回、私が思わず反応したのは「へっつい」の処分に困る場面だった。

へっついとは昔のかまどのことだが、このへっついには幽霊が付いている。

 

そのせいで誰も欲しがらない。街に悪い噂が流れる。

売ろうとしても売れない。

むしろ、お金を付けてでも持っていってほしいという話になる。

 

そこでふと思った。

「あれ、これ私たちの仕事だな」と。

江戸時代には廃棄物処理という概念はなかっただろう。
そこにこの古典落語の面白味がある。

 

「へっつい幽霊」を聴きながら、笑っていたはずなのに、いつの間にか仕事のことを考えていた。


2026/06/01
914/1000 先手必勝   

昨シーズンは、熱中症対策用の塩分タブレットが手に入らず苦労した。

必要になってから注文しても在庫がない。あっても納期がかかる。あちこち探し回って最後はスーパーの袋飴になっていた記憶がある。

そんな経験があったので、今年はまだ肌寒さの残る3月のうちに一年分を購入しておいた。

たかがタブレットである。

しかし社員みんなの分となると話は別だ。段ボールで届いたそれは思いのほか場所を取り、金額も数万円になる。

積み上げられた箱を見ながら、「これ全部食べるのか」と少し笑ってしまった。

そして、もう一つ気になることがある。

こんなに食べて虫歯にならないのだろうか。

熱中症を防ぐために配ったのに、今度は歯医者さんのお世話になる人が増えたら本末転倒である。

もっとも、それは冗談半分の心配だ。

本当に怖いのは熱中症の方である。


今日、事務所では今シーズン初めて冷房を入れた。

そして、3月に買った塩分タブレットがやっと日の目をみた。

 

昨年は社員の熱中症がゼロだった。

もちろん今年もゼロを目指す。

熱中症対策に特効薬はない。こまめな水分補給や休憩、声掛け、そしてこうした地味な備えの積み重ねだと思う。

できることは先にやっておく。

そうゆうことだ。