これまで私が迷ったとき、よりどころにしてきたのは「カタキ」の方だった。
“カタキ”とは、簡単に言えば**「難しい方」**。
楽な道より、骨の折れる道。
遠回りでも、手応えがありそうな方。
そういう道を選んでおけば、何となく「逃げてない気がした」からだ。
けれど実際は、その難しさに身を隠していたことも多かった。
「こっちの方が大変だから、きっと正しい」
そんなふうに思い込んで、でも本音では、本当に向き合うべきことからは逃げていた。
そのことに気づくたび、なんとも言えない罪悪感が残った。
難しい方を選んだ自分に酔っていたんじゃないか?
「正しい選択」という仮面で、どこか逃げていたんじゃないか?と。
そんなとき、『宇宙兄弟』というアニメに出会った。
その中で、主人公の六太が恩師から言われた言葉がある。
「迷ったときは、ワクワクする方を選べ」
私はこの言葉に、ハッとした。
自分が「難しい方」にばかり目を向けていたのは、
本当は“ワクワク”に自信が持てなかったからかもしれない。
心が動く方を選ぶことに、どこか後ろめたさを感じていたのかもしれない。
そして昨日、講演会で出会った言葉が、
そのふたつをすっと包み込んでくれた。
「迷ったら、両親が笑顔になる方を選びなさい」
この言葉には、計算も言い訳もいらなかった。
私の両親は今も健在だ。
どちらを選べば、あの人たちは笑ってくれるか。
その顔を思い浮かべれば、不思議と答えが出てくる。
“難しさ”や“ときめき”じゃなくて、
もっと深いところにある安心感。
それが、今の私にとっての道しるべなんだと思う。
これからも迷うことはあるだろう。
そのたびに、私は静かに自分に問いかける。
「両親が笑うのは、どっちだろう」と。
夕方の小一時間、会社の敷地で今年一発目の草刈りをしました。
陽射しは穏やか、風はちょっとだけ涼しくて、やるなら今だなと。
草の勢いはすごくて、たんぽぽなんかは「おいおいどこまで広がるつもり?」ってくらいの勢い。
一部、完全に剛毛です。笑
草花には申し訳ないけれど、刈った後のスッキリした道端を眺めるとやっぱり気持ちいい。
それだけで、なぜか嫌なこともふっと軽くなるんですよね。
今日は草刈り中、久しぶりにパールジャムを流していました。
特に「Daughter」が妙にしっくりきて、無性に聴きたくなったんです。
1993年、あの曲を初めて聴いたのは高校2年生の頃。
親に対して反発していたような、でもまだどこか頼っていたような、そんな時期。
草を刈る単調なリズムと、エディ・ヴェダーの声が不思議に重なって、
心の奥にしまってた“あの頃の自分”とちょっとだけ再会した気がしました。
草刈りって、ただの作業だけど、どこか心の中まで整理されるようなところがあって。
パールジャムの音楽がそこに加わると、なんだか妙にしっくりくる。
もしかすると今、少し疼いてるのかもしれません。
50を前にして、あの頃のハングリーな気持ちが、また顔を出してきたのかも。
まあ、草刈りしながらそんなこと考えてる人もそういないとは思いますが、
こういう時間、わりと好きなんです。
今朝の新聞で、「50代から取りたい資格ランキング」が紹介されていました。
1位:漢字検定
2位:習字・ペン字
3位:整理収納アドバイザー
そのランキングを見て、思わず「わかる、わかる」と頷いてしまいました。
48歳の私は、今まさに2位と3位を楽しんでいるところ。
習字を始めて約1年。今は二級を取得して、次のステップに向けて日々筆をとっています。
漢字のバランス、線の強弱、余白の取り方――
美しい文字というのは、単に整っているだけではなく、お互いの形が響き合い、引き立て合っていて、そこに書き手の感情や気持ちまで乗ってくる。
そんな「伝わる文字」を目指して、静かな時間に向き合うのは、なかなか豊かな時間です。
そして、もう一つの「整理収納アドバイザー」は、もはや趣味というより“仕事”の一部。
講師として、当社で月に1回、資格取得講座を開催しています。
とはいえ、モノを整えることは仕事でもあり、同時に人生を豊かにする“趣味”でもあると感じています。
整理収納は、形ある物体を整える技術だけれど、そこには「思いやり」や「おもてなし」、「モノを活かす」「自分を大切にする」といった、目に見えない価値が込められています。
習字もまた、線の美しさだけではなく、字に気持ちを宿す行為。
どちらも、「小さなことにこだわる」ことで気づける美しさや調和があって、
今の私には、それがとても心地よい。
そんなわけで、まんまと50代人気ランキングに乗っかっている私ですが(笑)、
日々をていねいに過ごしたい気持ち、わかる方も多いのではないでしょうか。
町家カフェ「古今coconn」への古道具搬入から、もうすぐ1ヶ月。
その間、たくさんの方に手に取っていただいた無塗装の無垢材でできた木箱。
多くの方が、このシンプルで温かみのある木箱を本棚として活用しているようです。
私たちが扱う古道具は、合板でもなく、最新の工場生産品でもない。
そして、匠の手による一品物の高級品とも違う。
それでも、等身大の暮らしにしっくりくる、そんなモノたちが揃っています。
例えば、木箱。
無塗装の木肌が手に触れたときに感じるあたたかさや、やわらかさ。
それは、どこか人の気配を感じさせるような、素朴で心地よい感触です。
こうした古道具には、完成されすぎていない“余白”があるからこそ、
使う人それぞれの暮らしに合わせて変化していく魅力があります。
完璧ではないけれど、だからこそ、毎日手を加えて育てていける。
その感じが、まさに「手ざわりのある暮らし」を感じさせてくれます。
古道具には、時を経て、誰かの手に渡り、少しずつ味わいが増していく力があります。
そんな道具たちが、町家の古い空間に息を吹き込み、
今という時代と古き良きものとのつながりを感じさせてくれるのです。
「古今coconn」での体験を通じて、
その温もりや暮らしに寄り添う手ざわりを感じていただきたいと思っています。
その場所で、過去と今が交差する瞬間を、ぜひ体感してみてください。
今、暮らしに必要なのは、完璧でないものかもしれません。
等身大のわたしにぴったりのもの、
無理なく、日々の中で馴染んでいくものが、古道具にはあります。
最近、「正義」という言葉が気になるようになりました。
大げさなようでいて、日常の中にも「正義」はあると思うのです。
それはつまり、自分が信じている“正しさ”のこと。
私たちは誰もが、自分なりの正しさを持っています。
そして知らず知らずのうちに、「それが一番正しい」と思い込んでしまう。
でも、同じように相手にも、その人なりの正しさがある。
それがぶつかったとき、どうしても対立になってしまいます。
でも、「ああ、そういう考え方もあるのか」と思えたら、少しだけ気持ちに余裕が生まれる。対立の軸をほんの少しずらすだけで、心が軽くなることもあります。
鳥の目で俯瞰してみること。虫の目で相手の立場に立ってみること。
そんなふうに視点を変えることで、すっと肩の力が抜ける気がします。
でも、それができる時って、たいてい心に余裕があるときなんですよね。
最近、なんだか世の中がカサカサしているように感じます。
みんな余裕がなくて、自分のことで手一杯。
だからこそ、今こそ「整理」なのかもしれません。
モノを整理することは、頭や心を整えることにつながっています。
部屋が整うと、なんとなく気持ちも整ってくる。
そうして生まれた余白が、誰かの“正しさ”を受け入れるスペースになるのかもしれません。