今日はボジョレー・ヌーヴォーの解禁日。
ワインの世界では毎年、お約束のように“独特すぎる”表現が並ぶ。「カシスのような香り」「濡れた落ち葉」「図書館の湿気を帯びた古書」なんて、詩なのか評論なのか分からない。けれど、この遊び心こそが、ボジョレーの良さでもある。
そんなことを思いながら、私は今朝もいつものようにコーヒーをハンドドリップした。始めて三ヶ月ほど経つだろうか。最初は“豆が全て”だと思っていたが、最近はどうも違う気がしてきた。むしろ、淹れ方ひとつで味は劇的に変わる。
お湯を落とすスピード、蒸らしの時間、注ぐ角度。ちょっと欲張って早く注ぐと味は薄くなるし、慎重すぎても雑味が出る。豆よりも「自分の気分と手つき」がコーヒーを左右している気すらする。
そしてコーヒーの香りの表現も、ワインに負けずにユニークだ。
「梨のような透明感」
「雨上がりの土の香り」
「鉛筆の削りかす」
もはや理科室かと思うような比喩もある。
だけど、毎朝の一杯に身を寄せていると、そんな表現がだんだん分かる気もしてくる。今日淹れたコーヒーは、とにかくスッキリしていて切れ味最高、まるで“冷えた朝に自転車で思いっきり坂道を下ってゆくような爽快感”があった。そんなことを思いながら、湯気越しに外を見る時間が、いつの間にか私の小さな楽しみになっている。
ボジョレー・ヌーヴォー実は飲んだことがない。けれど「図書館の湿気を帯びた古書」とか言われたら飲みたくなるね。
昨日から、札幌市手稲倫理法人会さんにお邪魔している。
二日間の講師という大役をいただき、皆さんからは「先生」と呼ばれる。
けれど、その呼び名がどうにもこそばゆい。
申し訳なさと、恥ずかしさと、少しの戸惑いが入り混じっている。
二日間も、いったい何を伝えればいいのだろう。
はっきりした答えを出せないまま飛行機に乗り込み、雪がちらつく札幌に降り立った。
手稲という地名は、アイヌ語で“湿地”を意味するのだという。
小樽と札幌のあいだにあり、小樽出身のサカナクション・山口一郎さんの「新宝島」に出てくる
「テイネテイネテイネ」というフレーズが、昨日からずっと頭を回っている。
だが、あの歌詞とはまったく関係がないらしい。
ホテルの窓から手稲の山並みを眺める。ここは札幌オリンピックの時にスキー場として整備され、この地域が札幌市に編入されたという。
それにしても季節が早い。
山形よりも一か月ほど冬の歩みが早く、厚手のコートがようやく“ちょうどいい”。
乾いた冷たい空気が、肌にも心にもピリッとした緊張感をくれる。
そして私にできるのはただひとつ。
自分の物語を語ること。
痛みも喜びも、迷いや未熟さも、逃げずに歩いてきたその過程だけなら、誰にでもまっすぐ伝えられる。
そして、この二日間の大役を終えて思う。
一番“教えられた”のは、私自身だった。
結果はそうできのいい内容ではなかったのかもしれない。
昨日は妻を連れて、映画 「爆弾」 を観に行ってきました。
この作品は文庫本で読んだときから、「きっと映画化されるだろう」と期待していた一作です。実際に映画化され、主演は山田裕貴。その上、スズキタゴサク役に佐藤二朗さん——このキャスティングを知ったときに、観たい気持ちが一気に加速しました。
作品は、ほぼ原作通り。
物語の流れも、空気感も、あの“読んでいたときの呼吸感”がそのまま映像になったようで、原作好きとしては嬉しい限りです。
そしてやはり圧巻だったのは、佐藤二朗さんが演じるスズキタゴサク。
迫力と不気味さ、そしてどこか哀愁のある佇まい。原作の中で私が脳内に描いていたタゴサク像を軽々と越えてきました。ホームレスという設定のリアリティもすごく、ヒゲや服装のくたびれ方はもちろん、特に“歯”。あの黄ばんだ歯の存在感が妙に気になって、気づけばそこばかり目で追ってしまいました。
一方、妻の映画の楽しみ方はというと——。
上映前にカフェラテとキャラメル味のポップコーンを嬉しそうに抱え、準備万端で席に座ったまではよかったのですが、ものの数分で船を漕ぎ始め、爆破シーンのたびにハッと驚いて目を覚ますという、なんとも贅沢な鑑賞スタイル。隣で見ていて思わず笑ってしまいました。
今日、ラジオから久々にレイ・ハラカミの曲が流れてきた。
やっぱりいいなぁと思って聴いていると、
パーソナリティーが「この曲、実は古いデジタル楽器で作られているんです」とふと話した。
その一言で、音が急に立体的になった気がした。
完璧とはいえない昔のデジタル機材。
粗い波形や遅いレスポンス、経年の揺らぎ。
その“欠けた部分”が、逆にあたたかさをつくっているのだろう。
デジタルなのに人肌みたいな丸さがある不思議な音だ。
サブスクで音楽があふれるようになって、
曲の背景を知る機会はめっきり減った。
気に入ったら次、また次へと流れていく。
便利だけれど、奥のほうにある物語までは届かないことが多い。
そんなことを思っていたら、ふと90年代の頃を思い出した。
ケミカル・ブラザースが登場し、
打ち込みなのに妙に“生っぽい”ドラムに圧倒された時代だ。
メカニカルなはずのドラムが、なぜか人間の体温を持って聴こえる。
あれは、生ドラムのサンプルやMPCの揺れ、
アナログ卓の歪み、あえて整えないループ……
そうした“機材のクセ”そのものが音に残っていたからだ。
レイ・ハラカミの丸い電子音も、
ケミカルの荒々しいドラムも、
向き合っていたのは、生かデジタルかではなく、
もっとその先にある“揺らぎ”だったのかもしれない。
便利さがすべてを均一にしていく今、
こういう不均一な音に触れると、
なんだかホッとする。
アナログ盤でも探してみるかと考えている。
昨日は11月11日。ポッキーの日が有名ですが、実は「電池の日」でもあります。+と-の並びが電池の端子を連想させることから制定されたそうです。
廃棄物業界に身を置く私たちにとって、「電池」といえばやはりリチウムイオン電池の火災問題が頭に浮かびます。
全国的にも処理施設や収集車の火災が相次いでおり、その多くが“思いがけず混ざっていた電池”に起因しています。
リチウム電池は今や、掃除機や電動工具、電子タバコ、モバイルバッテリーなど、暮らしのあらゆる製品に使われています。
中でも厄介なのがワイヤレスイヤホン。小さくてプラごみに紛れやすい上、電池が内部に組み込まれていて取り外しができない。しかも左右のイヤホンとケース、それぞれに電池が入っている製品もあり、どこに潜んでいるのか分かりづらい。破砕機の中で圧力がかかれば、一瞬で火花が走ることもあります。まさに“見えない火種”です。
もちろん、全国的にはJBRC(一般社団法人 充電式電池リサイクル推進センター)などによる回収システムが整っています。家電量販店や自治体の回収BOXに「小型充電式電池」を入れれば、リサイクルルートに乗せることができます。
ただし、イヤホンのように電池が取り外せない構造のものは、現状その仕組みに乗せづらい。結局、排出する側の“正しい出し方”が鍵になります。
こうしてみると、モノを買うときに「使う」と「捨てる」の両方を想像しておくことが、いちばんスマートなのかもしれません。
便利さの裏には、見えないリスクと見えない努力がある。
小さな電池ひとつが、大きな火を生むこともある。
だからこそ、「混ぜればごみ、分ければ資源」。
11月11日、電池の日。今日もまた、そんな当たり前を思い出させてくれました。