無印良品酒田でのイベント初日が終わりました。
私は「わけるとわかるわけるくんインストラクター」として参加者のみなさんと一緒に、片づけの癖や心の癖を探るワークを行いました。
無印良品では「からだとくらしの広場」と題して、地域のみなさんとつながりながら暮らしに役立つ体験や学びの場をつくっています。食や住まい、健康や学びといった日々の暮らしを豊かにするテーマを、地域の人や団体と一緒に育てていく取り組みです。今回のイベントもその一環として開催され、庄内お片づけ部として参加させていただきました。
「わけるくん」とは、モノの整理を通して自分の価値観や思考のクセに気づけるカードゲームのようなワークです。様々な種類のカードを自分が定めたルールで分けていくうちに、人それぞれの判断軸やこだわりが浮き彫りになるのが特徴。遊び感覚で取り組めるのに、整理の本質が見えてくる優れものです。
そんな「わけるくん」での体験の中で、ある方が語った言葉が胸に刺さりました。
「ルールは大切。だから守ろうとするのは尊いこと。でも決まって守らないのは、上に立つ人、偉い人なんですよね」
ふと、政治や社会の姿が重なります。法律や制度といった「ルール」を守るのは、多くの市民や現場の人たち。ところが、発言力や権力を持つ側がそのルールを逸脱し、結果として下の立場の人が後始末を担わされる。しかもその努力は、ほとんど評価されることがありません。
社会に限らず、組織の中でも同じことが起こりがちです。ルールをつくる側であるほど、その重みを忘れてはいけない。そう教えられた気がしました。
今日のワークで得た気づきは、自分自身への戒めでもあります。立場が上になるほど、ルールを軽視しがちなのかもしれない。そうならないように、まず自分が律すること。それが、まわりへの何よりのメッセージになるのだと思います。
そして明日28日(日曜日)14時〜17時、会場にてまたみなさんとお会いできるのを楽しみにしています。
お彼岸ということで、妻の実家のお墓参りに出かけました。
義父はいつになく陽気で、孫たちと並んで写真を撮りたがったり、いつもは家で待っているのですが、一緒に墓参りに行った私を開山堂へ案内してくれたりしました。
その姿に「今日は特別だな」と感じていたのですが、ふとした拍子に義父の口から出てきた言葉が、少し胸に残ります。
「そろそろ終活しなきゃな」
「今の写真は遺影に使って欲しい」
「この家を片付けると、どのくらいかかるんだ?」
笑顔の裏にちらつく現実。冗談半分に聞こえながらも、その一言一言が心配になってしまう。
けれど同時に、こうして自分のことを笑いながら語れるのは、元気でいる証なのかもしれません。
お墓参りを終え、帰りに買ったアイスクリームをみんなで食べながら撮った写真の義父は、少し子どものように無邪気な笑顔でした。
その写真を家族のLINEグループにアップすると、東京にいる娘たちからすぐに返信がありました。
「じい、かわいいね」
「背抜かれたね」
「久しぶりに行きたいな〜実家」
そんな言葉に画面越しに笑い合う家族。離れていても、ひとつの笑顔でつながる瞬間がありました。
その笑顔を見ていると、「まだまだこれから」と思いたくなるのです。
似ているけど、見る人が見るとまったく違うものってあります。
私が今、初段を目指して練習している習字なんかもそうです。興味のない人に言わせれば「どっちも上手いじゃん」で終わってしまう。けれど、筆の入りや払い、余白の取り方を知れば知るほど、見え方が変わってくる。自分の字の稚拙さに気づかされるのと同時に、奥深さがどんどん顔を出してくるのです。
同じことを、この頃はじめたコーヒーのハンドドリップでも体験しました。最初に淹れた一杯が偶然にも好評で、プロから「豆の旨みをストレートに表現している」と褒められ、すっかり気を良くしてしまった私。ところが、二杯目からはどうにも再現できない。何度淹れてもあの味に届かず、ただただスランプの中でもがいております。
温度計を買い、ミルの荒さを変えてみたり、お湯を注ぐ(置く)速度を調整したり。小さな変化を繰り返しては試し、繰り返しては悩む。そのたびに妻は「美味しいよ」と言ってくれるのですが、自分の中ではどうにも納得がいかない。凝り性と言われればそれまでですが、その「納得のいかなさ」こそが、実は面白くて仕方がないのです。
知らなければ「どれも同じ」で済んでしまうこと。けれど一歩踏み込んだときに見えてくる違いが、日常を深くしていく。
習字もコーヒーも、結局はその繰り返しにハマっているのだと思います。
末の娘が、街に「選挙ポスター掲示場」が立ち始めたのを見て「これで次の総理大臣を選ぶの?」と聞いてきました。
テレビでは自民党総裁選挙のニュースが流れ、街角にはこれから市長選と市議会選候補者の顔写真が並ぶ。どうやら子どもなりに、断片的な情報をつなぎ合わせて政治のことを考えているようです。もちろんまだ偏ってはいますが、そんな会話が出てくるだけでも成長を感じます。
そう、鶴岡ではまもなく市長選挙と市議会議員選挙が始まります。
「この人にも入れたい、この人にも」と思ってしまうのが本音。でも実際に投じられるのは、たった一票だけ。だからこそ悩ましく、だからこそ大切なのだと思います。
しばらくすれば、選挙カーが賑々しく街を駆け抜け、なんとも言えないピリ付いた空気になるのでしょう。
もちろん結果も楽しみな今回の選挙。鶴岡がどんな街に変わって行くのか、後に振り返った時に語り草になるような予感があります。
そして、最近あまり耳にしなくなったように感じますが「風の時代」という言葉。西洋占星術では、土の時代から風の時代へと星の配置が移り変わり、人とのつながりや情報、自由な発想が重んじられる時代になったといいます。
風の時代は、果たして誰を選ぶのか。
その答えは、私たち一人ひとりの一票の先に、静かに待っているのかもしれません。
先日、毎年恒例の健康診断がありました。
結果を見て、思わず二度見してしまったのが「身長」。なんと179.9cm。これまでは179.4cmあたりで安定していて、何か記入する際にも「179cm」と書くのが当たり前でした。ところが今年は、あと1ミリで大台の180cm。これはもう胸を張って「180cm」と書ける日がきたのではないかと思わずニヤリ。
もちろん、年齢を重ねて背が伸びたわけではありません。むしろ自然の流れとしては少しずつ縮んでいくはず。それがわずかに“伸びた”ように見えたのは、この一ヶ月ほど続けてきたパーソナルトレーニングのおかげだと思います。
私が最初に目標に掲げたのは「姿勢の改善」でした。筋肉を大きくするでも、急激に体重を落とすでもなく、ただ自然に正しく立つこと。胸を張りすぎず、肩の力を抜いて、すっと背筋を伸ばす。そのためにコツコツと積み重ねてきたのです。
その成果が、思いがけず「数値」として表れた。たった5ミリの違いですが、自分にとっては大きなご褒美でした。
「努力は裏切らない」というマラソンランナーの名言がありますが、今回の180cmはまさにその言葉を少しだけ実感させてくれる出来事でした。