事務所でコピー機が印刷を始めると、いつも少しだけ空気が変わる。ツンとした、金属のようなにおい。ある朝ふと思った。あ、これ……うちの現場で使っているオゾン脱臭機と同じにおいだ。
私の仕事は、においと向き合う場面が多い。家財整理の現場。長く閉ざされていた家。水害のあとの部屋。そういう場所で、私たちはオゾン脱臭機を回す。しばらくすると、あの独特のにおいが空間に立ち始める。「効いてきたな」という合図のようなにおい。
消臭作業をしていると、オゾンは時を加速させる魔法のようだと感じる。それは、長い時間をかけて自然界がやっていることを、ほんの数時間に縮めてしまう仕事だからだ。風が通い、光が入り、微生物が働き、季節をまたいで薄れていくはずのにおい。それを、オゾンは一気に引き寄せる。
この仕事には、はっきりとした季節がある。冬はほとんど出番がない。消臭作業のオフシーズン。本番は5月から10月。湿気が出て、温度が上がり、家も空気もにおいを溜め込みはじめる頃。私たちの出番も、そこから一気に増えていく。
現場で脱臭機を回していると、においが消えていくのと同時に、その場所の「時間」が進んでいく感じがする。昨日まで確かにあった痕跡が、今日にはもう輪郭を失っている。私はときどき、片づけをしているのか、時間を動かしているのか、分からなくなる。
調べてみると、コピー機も印刷の過程で微量のオゾンを発生させているらしい。なるほど、と思った。事務所で嗅いだあのにおいは、現場で何度も嗅いできたにおいだった。
コピー機と脱臭機。
役目は違うのに、
あのにおいだけは、どちらにも立つ。
事務所でそれを嗅ぐと、
私は少しだけ、現場の時間を思い出す。
においが変わるとき、
何かが終わっている。
そしてたぶん、何かが始まっている。
新しいことを始めるとき、
それはだいたい「準備万端」の瞬間ではない。
まだ早い気もするし、
本当に必要なのかも分からない。
今のままでも、たぶん回る。
そんな地点で、えいっと踏み出す。
だから「新しい」が始まるときには、
いつも思い切りがいる。
ただ最近は、そのきっかけのほとんどが
「必要に迫られて」だ。
環境が変わり、
人が育ち、
やり方に歪みが出始める。
思えば今は、
父の時代から、私の時代に変わる時なのだ。
やり方も、判断も、背負い方も。
受け継いできたものを胸に収め、
今度は自分の足で立つ段階。
準備ができたから立つのではなく、
立たされた場所で、覚えていく。
そんな感覚に近い。
そんなことを考えていると、
家に帰って、息子が言う。
学校の音楽クラブで
何か演奏するんだとか。
歌か、ピアノか、ギターか。
ベースでもいいらしい。
じゃあベースやったら。
息子は笑顔で頷いた。
私から息子への時代は、
もう少し先のようだ。
コーヒーは苦手でも、コーヒーの香りは好きだという人は多い。
飲むとなると身構えてしまうのに、香りだけは不思議と受け入れられる。そこには味覚よりも先に、記憶や感情に触れる何かがある。
ジャコウネコのコーヒーの話を思い出す。
もともとは、野生のジャコウネコが完熟した実だけを選び、偶然生まれた希少なものだった。それが「価値がある」と分かった瞬間、効率化され、量産され、物語だけが残った。店頭に並ぶそれらは高価だが、どこかブロイラー的で、香りが薄い。
効率が進んだとき、真っ先に失われるのは、たいてい“香り”なのだと思う。
これは、コーヒーの話だけではない。
ブランドという色眼鏡に、私たちはいつの間にか魔法をかけられている。値段や名前が、安心や正解を保証してくれる。自分の感覚で確かめる前に、「これは良いものだ」と思わせてくれる。
けれど、本当に良いものは、そんな魔法がなくても、静かに伝わってくる。派手ではないし、説明もいらない。ただ、「これは好きだ」と自分の中で分かる。
しかし、私は実は、ブランドに弱い。
それでも、毎朝ハンドドリップで淹れるコーヒーは、スーパーで買った安い豆だ。
けれど、これがとても美味い。
今年は、
「ブランドマインドセットを捨てる」
というのを、自分のテーマにしてみようと思っている。
正月ということもあって、ネットフリックス三昧。友人に勧められた『葬送のフリーレン』を観始めた。
剣と魔法の世界。
勇者が魔王を倒し、世界は救われ、物語は終わる。
本来なら、そこで拍手をして幕が下りるはずだ。
けれど、この物語はそこから始まる。
エルフである主人公のフリーレンにとって、人の一生はあまりに短い。
十年一緒に旅をした仲間との時間も、彼女にとってはちょっとした出来事にすぎない。
だから当初、別れの重みも、後悔の輪郭も、はっきりとは掴めなかった。
一方で、人は変わる。
歳を重ね、立場が変わり、価値観が更新されていく。
変化の速さの中で、置いていかれたり、追いつこうと焦ったりしながら生きている。
フリーレンは、その速さに合わせようとしない。
代わりに、ゆっくりと歩き続ける。
そして言う。「遅すぎることはない」と。
この言葉が、不思議と胸に残った。
僕らの世代は、「何者かになりなさい」と強く言われて育ってきた。
結果を出すこと、役に立つこと、評価されること。
それが正解で、それ以外は遠回りのように感じていた。
けれど振り返ってみると、
与えられた評価や肩書きは、いつの間にか色褪せている。
手に入れたはずの「答え」は、次の瞬間には別の問いに上書きされていく。
フリーレンが教えてくれるのは、まったく別の価値観だ。
本当に欲しいモノとは、誰かから与えられるものではない。
それは、探し求めている時間そのものなのだと。
寄り道をし、立ち止まり、無駄に見えることを繰り返す。
探している最中は、不安もあるし、確信もない。
けれど、その時間だけは、後から奪われることがない。
何者かになれなかったとしても、
探し続けた時間は、確かにそこに残る。
それは誰かと比べるものでも、評価されるものでもない。
ただ、自分の人生の厚みとして積み重なっていく。
平和な時代のヒーローは、剣を振るわない。
世界を救うよりも、記憶を拾い、感情を学び、時間を抱えて歩く。
その姿は、派手ではないけれど、とても誠実だ。
やっと本年の目標をビジュアル化しました。
これができないと、私の中では新しい年が始まりません。
毎年やっていることです。
新しい年に向かって言葉になりきらない目標を、
一度「見える形」にしてみる。
それは決意表明というより、
自分の現在地を確かめる作業に近い。
言葉だけで考えていると、
どうしてもぼんやりしてしまう。
分かっているつもりでも、
輪郭が定まらないまま日々が流れていく。
だから、ビジュアルにする。
書き出して、並べて、配置して、
少し距離を取って眺めてみる。
すると不思議なことに、
そこに「色」が現れてきます。
2026年の私のカラーは、
ゴールド × ブラックでした。
最初から決めていたわけではありません。
あとから、自然と浮かび上がってきた色。
ブラックは、削ぎ落とす色。
やらないことを決める覚悟。
余白をつくるための、静かな判断。
ゴールドは、積み重ねてきた時間や経験の色。
派手さではなく、
にじみ出る価値のようなものです。
これは、お片づけととてもよく似ています。
頭の中で管理しているつもりの空間も、
一度すべてを外に出すことで、
量も偏りも、色合いも、全部が見えてくる。
見えるから、選べる。
選べるから、整えられる。
そして、このビジュアルは
スマホの待ち受けにセットします。
一日に何度も目に入る場所。
自分を追い立てるためではなく、
「ああ、今年はこれだったな」と
静かに立ち返るための印です。
目標は、追いかけるものではなく、
暮らしの中に置いておくもの。
一緒に歩くもの。
これができて、ようやく、
私の中で新しい年が始まります。