気づけば、怒涛の11月が終わった。
今年も残りあと一か月。毎年恒例の「今年の漢字」が話題になる頃だが、私にとっては迷わず『変』の一字だろうと思う。
これほど自分が変化した年は、そう多くない。よく考えれば、今年は歳男でもあった。節目というのは不思議で、どこかで“やっと本当の自分に出会えた”ような感覚が芽生えている。
もちろん、変わることは楽ではない。
いろんな着色、心の壁、見栄、被害妄想めいた妨害工作──すべて自分の心の中で繰り広げられる。自分の小さな城にこもって、王様でいることがいつもの自分を守ることで、つまらないプライドを盾に、人を責めたりしてつまらない自分を繰り返す。
そんな“閉じこもり王”に対して、今年は勇猛果敢な開拓者が現れた。名前は「苦難」。まるで門を叩くように「出てこい」と迫ってきた。
逃げたくても逃げられない、逃げなかったことで、閉じ込められていた王様はやっと解放されたのだと思う。
不思議なもので、解放されてみると周りがよく見えてくる。
すると、今の世の中には、自分と同じように小さな城に閉じこもっている“王様”たちがたくさんいることに気づいた。
かつての自分がそうだったから、心の壁の辛さも、プライドの重さも、よくわかる。
だからだろうか──
そんな王様たちの解放に、ほんの少しでも役に立てたらいいな、なんて。
お節介なのは百も承知だが、それくらいは焼いてみようかという気分にもなっている。
11月を駆け抜けた今、ようやく肩の力が抜けて、少しだけ遠くまで見渡せるようになった。
残り一か月、どんな景色が待っているのか。
変わることを恐れずに、今年のラストを歩いていこうと思う。
今日の午前、電話が鳴った。
「明日の講話、担当者が病欠でして…代わりにお願いできませんか?」
またしてもピンチヒッターである。
これまでこの会には5〜6回は呼んでいただいている。
呼ばれるのはありがたいが、正直そろそろネタが尽きたのでは…という気持ちもある。
そこへ明日の講話依頼。そしていきなり聞かれるのだ。
「テーマは? プロジェクターは? レジュメは?」
そんなもの、すぐ答えられるわけがない。
即答できる人がいたら、それはもう職業としての“講師”だ。
一瞬、断る理由は揃っていた。
急だし、準備時間もない。
何より、ネタがあるかどうか自信もない。
それでもなぜか“受けたくなる”のが不思議だ。
本当のところ、私は勝負強いタイプではない。
野球に例えるなら、9回裏二死満塁で代打に立つような華やかな人間ではない。
むしろ「いやいや、もっと上手い人がいるでしょう」と言いたい。
それでも声をかけられると、なんだかんだでバッターボックスに向かってしまう。
結局、そういう性分なのだと思う。
急な依頼というのは、ある意味で“逃げ道”がある。
準備が整わないぶん、完璧を目指さなくていい。
むしろ「今の自分でいくしかない」と腹が決まる。
そして不思議なもので、こういう時ほど大胆になれる。
ふだんなら慎重に避けるような話題にも踏み込めるし、
言葉の選び方もどこか自由だ。
もし不発でも、
「あれは急だったから」で済んでしまう。
その“許される空気”が、心を軽くしてくれる。
だから挑める。だから動ける。
昔、師匠に言われた言葉を思い出す。
「3分話すなら準備に一か月。30分なら3日だ。」
短いほど研ぎ澄ました“核”が必要で、準備に時間がかかる。
長い講話は、自分の人生そのものが語ってくれるから、準備はいらない。
この理屈でいけば、明日の45分は……
だいたい“1日”でいいらしい。
妙に納得してしまうのは、いままさにその“1日”の中にいるからだろう。
そして今回は、プロジェクターもホワイトボードもレジュメも何も持たず、
体ひとつで行く。
余計な武器を持たない分、まっすぐ伝えるしかない。
その潔さが逆に気持ちいい。
明日は、大勢に向けて話すつもりはない。
誰かひとり──
その人の心にだけ、そっと届けばそれで充分だ。
たった一人に伝わる話。
そのために、体ひとつで行く。
昨日は、鶴岡東工業団地連絡協議会のボーリング大会。
今年で 第41回 を数える伝統の大会には、今年も 70名を超える参加者 が集まり、当社・環境管理センターからは 2チーム・計8名 が参加しました。
私自身、この大会には20代の頃から参加してきました。
貸し靴のにおい、レーンの照明、スコア表のあの妙な緊張感——全部まとめて、工業団地らしい“年に一度のゆるい勝負”の風景です。
でも——
実は この大会、今年で最後 なんです。
理由は一言では片付かないけれど、大きいのは「時代の変化」。
41年間の歴史は立派ですが、運営には誰かの労力が必要で、それが少しずつ負担になってきた。
“何を守るべきか”を考えた結果の幕引きなのだと思います。
そして昨日も、レーンの上にはいつもの光景がありました。
ストライクが出れば「よっしゃ!」、スペアが取れれば「いいよいいよー!」と声が飛ぶ。
でも大事なのは、実はその 次の一投。
ストライクを取った直後こそ、力んでしまって G(ガーター) を出すパターンが多い。
あの“気負いすぎた結果のガーター”には、誰もが一度は覚えがあるはずです。
昨日も、そんな“あるある”にみんなで笑い合いながら投げていました。
そんな中で、環境管理センターチームは見事に 第2位!
最後の大会でしっかり爪痕を残し、これは素直に嬉しかった。
41年続いた大会の歴史と、これからの工業団地の歩み。
時代の変わり目、続けるのも辞めるのも勇気ですね。
今日は、なんだか胸の奥がざわついて、中学生の頃に観た『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を30年ぶりに観返してしまいました。1985年から1955年へタイムスリップする物語。デロリアンが炎を引いて走り去るだけで、あの頃のワクワクが一気に蘇ってきます。
私が観ていたのはテレビ放映版で、マーティの吹き替えは織田裕二、ドクは三宅裕司。誰に言っても信じてもらえないのですが、私の中ではこれが“正しい”吹き替え版です。当時はそれが当たり前で、織田裕二の軽快さと三宅裕司の勢いが、映画のテンポと妙にぴったりでした。
久々に観て「あれ?」と思ったのは、マーティが学園ダンスで弾くギブソンのギター。赤いセミアコはGibson ES-345。よく調べると1955年の時点ではこのモデルはまだ存在していないというのは有名な話で、映画らしい“時空のズレ”なんだとか。でも、そんなことはどうでもよくて、当時の私はただ「かっこいい!」それだけでした。
思い返すと、中学生の頃に夢見ていたものは、この映画の中にたくさんありました。ギターもデロリアンも、ターミネーター2を観て憧れたハーレーも革ジャンも。「大人になったら全部手に入れるんだ」と本気で思っていた。
そして今。30年経って、あの頃の夢をどれだけ叶えられただろうかと振り返ってみると──デロリアンこそ手に入れられなかったけれど、それ以外は案外叶えている。中学生の頃に想像していた“大人”の自分に、気づかないうちにちゃんとなっていたのだと思います。
それがなんだか嬉しくて。
今日の映画鑑賞は、小さなタイムトラベルのようでした。
パーソナルジムに通い始めて三ヶ月。
ここ最近、「あれ? そんなに変わってないんじゃないか」と思いながら鏡を眺める日々でした。
というのも、実はこの一ヶ月、計測をすっかり怠っておりまして…。
トレーナーさんが知ったら、「もったいない!」と眉をひそめそうですが、まあ人間そういう時期もあります。
ところが今朝、目を覚まして立ち上がった瞬間、ふとお腹まわりに違和感。
なんか……へっこんでいる気がする。
もしやと思い、慌ててメジャーを取り出して測ってみると、まさかの マイナス3㎝。
「いやいや、体重は変わってないだろう」と体重計に乗ったら、こちらも マイナス3kg。
嬉しい誤算。
まるで、一ヶ月放置していた“宿題”が、陰で勝手に成長していたみたいな、不思議な感覚。
劇的な日々ではなかったけれど、食事の選び方や姿勢、体の使い方を少しずつ見直してきた三ヶ月。
気づかないところで、ちゃんと結果が育っていたんだと思うと、なんだか救われる。
努力って、こういう形で返ってくるんですね。
静かな朝にふっと訪れる、小さな奇跡のように。