先週からピラティスを始めた。
姿勢を良くしたい。ただそれだけの動機だった。
でも、すぐに気づかされた。
姿勢を正すというのは、筋肉を“鍛え直す”ことでもあった。
つまり、使ってこなかった場所に意識を向け、目覚めさせることだった。
レッスンのあと、肩の奥や胸のあたりがズキズキと痛む。
こんなところに筋肉痛?と不思議に思いながらも、それは新鮮だった。
体の深部に埋もれていた“自分の力”を掘り起こしている感覚。
変わるというのは、こういうことなのだろう。
痛みをともなう。でも、それは前に進むときの合図でもある。
ふと思った。
自分に変化を求めることと、会社に変化を求めることは、きっと繋がっている。
うちの会社はもうすぐ設立50年。
変わったのは時代であり、価値観であり、求められるスピードだ。
でも、扱っている商品はあまり変わらない。
「このままでいいのか?」
そんな問いを、ここ数年ずっと胸の中でくすぶらせていた。
けれど、自分自身が変わらずに、
会社に変化を求めるのは違う気がした。
まずは、自分の姿勢から。
姿勢を変えると、呼吸が変わる。
呼吸が変わると、思考が変わる。
思考が変われば、行動が変わる。
それは、会社にだって当てはまるはずだ。
体の奥から伸びていく感覚を、
今、組織にも重ねて見ている。
昨夜、寝る前に何気なくラジオの聞き逃し配信を開いた。
耳に飛び込んできたのは、葛飾北斎の話だった。
彼は生涯で30を超える名前を持ち、改名のたびに古い名を弟子に譲ったという。
弟子はその名を掲げて活動を続け、北斎は新しい名でまた歩き始める。
さらに驚いたのは、名前だけでなく作風まで大胆に変えていたことだ。
積み上げた技術や評価を手放し、まるで新しい画家として生まれ変わるかのように次の表現へ向かう。
守るより壊すことを選び、そのたびに新しい景色を手に入れていったのだろう。
一方で、私たちはしばしば名前に縛られる。
私は三代目社長として会社を継いだ。
先代が築いた名と歴史は、盾にもなれば重荷にもなる。
会社の看板を守る責任と、同時に新しい形へ進化させる役割の狭間で、日々揺れている。
組織を継ぐというのは、単に経営の椅子に座ることではない。
過去を受け取りながら未来をつくる、大胆かつ繊細な作業だ。
硬直化した仕組みを見直し、ときには思い切って壊すことも必要になる。
変化は批判や不安を呼ぶが、それでも新しい風を入れなければ組織は次の段階に進めない。
壊す・手放すというのは勇気がいる。
けれど、それは整理収納の世界でも最も大切な鉄則だ。
不要なものを手放すからこそ、本当に大切なものが見えてくる。
北斎が何度も名を捨て、新たな自分を描いたように、組織も人も、そうしてこそ輝きを増すのだと思う。
もし今の自分や組織に停滞を感じるなら、勇気を持って解体に踏み出してみる。
その先にこそ、まだ見ぬ自分と、まだ見ぬ組織の姿が待っている。
昨日、鶴岡のパーソナルジム「famille」で、人生初となるパーソナルトレーニングが始まった。いきなり半年契約。もう逃げ道はない。半年後には「やって良かった」と胸を張れる自分に会えるだろうか、そんな一抹の不安と期待を抱えてジムの扉を開けた。
初回メニューは、いきなり重りを担いでスクワット…ではない。呼吸から始まり、姿勢、骨盤の傾き、肩の位置を確認して、じわじわと動きを重ねていく。大したことをしていないように見えるのに、終盤には脚がぷるぷる、呼吸が浅くなる。
そして終了後の感覚は、水泳1kmを泳ぎきった後のような、じんわり全身にまとわりつく疲労感。汗はじわっと、頭はぼんやり。けれどこの疲れは、嫌じゃない。どこか心地よく、体が「よくやった」と言ってくれている気がする。
トレーナーからは、「この半年は、数字だけじゃなく日常の感覚も記録してください」とアドバイスされた。眠りの深さ、肩のこり具合、夕方の足の重さ…そうした変化が積み重なっていくのが楽しみになるらしい。
昨シーズン、薪ストーブを新しくした。
燃費や暖房効率を考えて、ヨーロッパ製のものに入れ替えた。
最近のストーブは本当に優秀で、少ない薪でもしっかり部屋を暖めてくれる。
長年使ってきた旧ストーブは、アメリカ製の無骨だけど頼れる存在だった。
特に使い道も無く、放置されていてそろそろお役御免か…と思いながらも、すぐに処分する気にはなれなかった。
この夏、その旧ストーブはレコードプレーヤーとスピーカーの台として静かに活躍している。
どっしりと重く、安定感は抜群。
音響機器を置くにはちょうどいい高さと広さ。
何より、その存在感が音のある暮らしによく似合う。
火は入っていないけれど、音をのせ、灯りを添えると、不思議とあたたかみが戻ってくる。
レコードの針が落ちる瞬間、まるでまたストーブが呼吸をしているようにも見える。
いつかまた、あの中に薪をくべる日が来るかもしれない。
でもそれまでは、音とともにあるこの日々を、もう少しだけ楽しんでみようと思っている。
昨日、出羽商工会さん主催の人材採用セミナーに参加しました。
テーマは「お金をかけずに思い通りの人材採用を実現」。
内容は驚くほど今の私たちにフィットしていて、「そうすればいいんだ!」という気づきの連続でした。
特に印象に残ったのが、講師の方が語った「マッチ売りの少女」の例え。
「このマッチが売れないと、お父さんに叱られるんです。お願いします!買ってください!」
この少女の姿は切なく心を打ちますが、同時に、誰もマッチを買ってはくれません。
なぜか。それは彼女の言葉が“自分の都合”ばかりだからです。
買い手の気持ちではなく、売り手の事情が前面に出てしまっているから。
この話を聞いて、思わずハッとしました。
求人でも同じことをしていなかっただろうか、と。
「人が足りない」「来てくれないと困る」「助けてください」
求人原稿に、そんな“自社の都合”だけを並べてはいなかったか。
相手の立場に立たないまま、一方的な“お願い”だけをしてはいなかったか。
講師の言葉は続きます。
「求人は広告じゃない。ラブレターなんです」
誰に、何を伝えたいのか。どんな人と働きたいのか。
その人の心に届く言葉で、自分たちの“想い”を伝えること。
そこに共感が生まれ、初めて人が集まってくる。
求職者の心に届く求人。
それは、ただ人を“集める”のではなく、
“惹きつける”ことで、未来を共につくる仲間を迎えること。
セミナーを通して、求人の本質を改めて学びました。
マッチ売りの少女にならないように。
まずは、自社の求人ページを、自分たちの言葉で見直してみます。
“火を売る”のではなく、“温もりを届ける”ために。