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毎日ブログ

2026/02/09
814/1000 これが都会の声量なの?   

正月に仕事だった長女が、今になって帰省している。

「何食べたい?」と聞くと、返ってきたのは「ココスー!」。

都内にはあまりなくて、子どもの頃から家族で通っていた、あのココスに行きたいのだという。

 

いつもの四人の食卓に長女が加わると、一気に賑やかになる。

笑い声が重なり、声量も自然と上がる。

気がつくと、周囲の席からちらちらと視線が集まっている。

その横で、長男は「勘弁してよ」という顔。

そして、小さな声でぽつりと聞いてきた。

「これが、都会の声量なの?」

訝しむようなその一言に、思わず笑ってしまう。

都会かどうかは分からないが、少なくともこれは“姉がいる日の我が家の声量”だ。

食後、「ボーリングでも行くか〜」という流れになったが、

妻はボーリングが苦手ということで却下。

代わりに始まったのが、なぜかオセロ大会だった。

優勝賞金3,000円。

この金額が、家族を本気にさせるにはちょうどいい。

一気に場の空気が変わる。

私もオセロなんて久しくやっていなかったので、

父の威厳を保つべく、こっそりネットで定石をチェック。

こういうところは、我ながら抜け目がない。

女性陣は、とりあえずの一手を置いていくスタイル。

作戦は特にない。

息子は、なんとなくコツがあることには気づいていたようだが、

見事に私の術中にハマっていった。

結果、優勝は私。

賞金3,000円を手にして、少しだけ得意顔になる。

 

長女のおかげで、楽しい夕食だった。


2026/02/07
812/1000 身体がリアルに知っていたこと   

ここ数ヶ月、歯が痛かった。

神経は取ってある歯なので、歯そのものが原因ではないことは分かっていた。

それでも、じんじんとした違和感が続いていた。

歯医者で診てもらうと、

歯の付け根の奥が炎症を起こしているらしい。

さらに診察を進める中で、先生が言った。

「だいぶ、くいしばってますね」

その一言で、点と点がつながった。

思い返せば、痛くなり始めた頃から、

なかなかしんどい状況が続いていた。

気を張り、踏ん張る場面が多かった。

そのとき私は、気持ちの上で歯を食いしばっていた。

そしてその状況に呼応するように、

身体はリアルに、就寝中まで歯を食いしばっていたのだ。

気持ちの緊張と、身体の緊張。

別々のものだと思っていた二つが、

実は同じ線の上にあった。

先生はマウスピースを作りましょうと言った。

しかも保険適用だという。

歯を抜かなければ治らないのでは、

そんなところまで考えていた私は、

原因と対処法が見えたことで、少し肩の力が抜けた。

歯の痛みは、まだ残っている。

でも、

しんどい状況に耐えてきた自分と、

そのまま身体を固め続けていた自分が、

きれいにつながった。

そのことが、

いちばんの処方箋だったのかもしれない。

2026/02/05
810/1000 名前を呼ぶという贈り物   

挨拶をされると、やっぱり嬉しい。

それはきっと、誰にとっても同じだと思う。

朝、すれ違いざまに「おはようございます」と声をかけられるだけで、少しだけ心がほどける。

けれど今日、ふと気づいた。

挨拶の中でも、もう一段階嬉しい瞬間がある。

 

それは、名前を呼ばれて挨拶をされた時だ。

 

「おはようございます」ではなく、

「小林さん、おはようございます」と声をかけられる。

その一言に、少しだけ特別な温度が乗る。

 

自分をちゃんと認識してもらえている感覚。

ただの“そこにいる人”ではなく、“小林という一人”として見てもらえている感覚。

たったそれだけの違いなのに、不思議と心に残る。

 

今日、そんな挨拶を自然にしている人に出会った。

最初は、「自分だけ名前を呼んでもらえたのかな」と思って、少し嬉しくなった。

けれど様子を見ていると、その人は誰に対しても、当たり前のように名前を添えて声をかけていた。

 

それが実に自然だった。

わざとらしさもなく、頑張っている感じもない。

ただ、そこにいる人を大切に扱っているだけ、という雰囲気だった。

 

すごいな、と思った。

同時に、真似したいなとも思った。

 

仕事でも家庭でも、私たちはつい役割で人を見る。

担当者、作業員、社員、ドライバー。

もちろんそれも必要だが、その前に一人ひとりに名前がある。

 

名前を呼ぶという行為は、案外エネルギーがいる。

覚える努力もいるし、間違えないように気も遣う。

でも、そのひと手間が、人と人との距離をぐっと縮めるのかもしれない。

 

考えてみれば、自分の名前を丁寧に呼んでもらった記憶というのは、なぜか長く残る。

逆に、名前を呼ばずに済ませてきた場面も、きっと数えきれないほどある。

 

挨拶は毎日のこと。

だからこそ、ほんの少しだけ質を変える余地がある。

 

「おはようございます」に、そっと名前を添える。

それだけで、同じ言葉が少し違う意味を持ち始める気がする。

 

今日出会ったその人の姿を見ながら、

挨拶とは礼儀である前に、関係をつくる行為なのだと改めて感じた。

 

明日から、私も少しずつ試してみようと思う。

ぎこちなくてもいい。

名前を呼ぶところから、人との距離をもう一歩だけ近づけてみたい。


2026/02/03
808/1000 節分の厄払い   

今日は節分。

季節の分かれ目で、かつて立春を一年の始まりとしていた頃の、いわば大晦日のような日だという。

そんな日に、私は車をぶつけられた。

駐車場に停めていた9年目のプリウスくん。

少し離れたところで、バックしてくる軽自動車が視界に入った。


「あ、近いな」


そう思った次の瞬間、派手な音とともにゴツん。

ぶつかる瞬間を、はっきり目撃してしまった。


手を振って制止すればよかったのかもしれない。

声を出していれば防げたのかもしれない。

後からなら、そんな考えはいくらでも浮かぶ。


向こうの車はバンパーがグシャグシャ。

一方、こちらは拍子抜けするほど、ほぼ無傷だった。

免許証を見せてもらうと、ゴールド免許のおばあちゃん。

長く無事故で運転してこられたのだろうと思うと、

怒りより先に、気の毒さが湧いてきた。


幸い、誰も怪我はしていない。

手続きは必要だが、それだけで十分だと思えた。


もろもろの厄が落ちて、誰かが持って行ってくれた。そんな気持ちが湧いてきた。

節分のごつんは幸先が良い。それで行こう。


2026/02/01
806/1000 便利な後輩を卒業する   

人を育てるということは、何なのだろう。

仕事に限らず、これまでさまざまな立場で人と関わってきたが、振り返ると「自分より下が育っていない」という場面を何度も経験してきた。


私より上の世代は、次々と仕事を振ってくる。

私はそれを右から左へと処理してきた。

量をこなす中で、確かに力はついたと思う。


だが、ふと気がつく。

自分の下が育っていない。


下の世代は、私を当てにする。

「小林さんがいれば何とかなる」

その空気は、安心でもあり、同時に危うさでもある。


この構図が続けば、組織は静かに弱体化していく。

仕事は回っているように見えて、実は“人”が育っていないからだ。


頼まれることに応え続けるのは、気持ちがいい。

評価もされるし、自分の存在価値も感じられる。

けれどそれは、いつの間にか「便利な後輩」「都合のいい中間管理職」を引き受け続けることにもなる。


今、必要なのはもう一段階先の役割だと思う。

自分がやることを減らし、人に任せること。

失敗させ、考えさせ、時間をかけて待つこと。


人を育てるとは、

自分が楽になることでも、

相手を甘やかすことでもない。


組織の未来のために、

あえて自分が“不便になる”選択をすることなのかもしれない。


便利な後輩を卒業する。

それは、次の責任を引き受けるという決意でもある。

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