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毎日ブログ

2026/09/30

再結成したバンドの新曲を、積極的に聴きたいとはあまり思わない。

 

好きだった曲は今でも好きだし、再びステージに立つ姿を見ればうれしい。ただ、新曲となると、どうしても自分の中にある「あの頃」と比べてしまうのかもしれない。

 

そんなことを考えると、スピッツというバンドはすごい。

 

今年8月、48作目のシングル「見知らぬ糸」をリリースした。ドラマの主題歌という追い風もあるのだろうが、今もヒットチャートを賑わせている。

 

1991年のメジャーデビューから35年。ボーカル、ギター、ベース、ドラムという4人の音で、今も新しい曲を届け続けている。

 

暗いような、明るいような。

寂しいような、どこか救われるような。

 

あの独特のスピッツ節は、年月が経っても変わらない。曲を聴けば「ああ、スピッツだ」と思う。それなのに、昔の曲だけ聴いていれば十分、という気持ちにはならない。

 

懐かしさもあるけれど、ちゃんと今の自分に届く。その不思議な距離感が、長く聴き続けられる理由なのだろう。

 

変わらないことは、ともすれば飽きられることにもつながる。それでも、新しい曲を聴きたいと思わせてくれる。

 

きっと、同じ場所にとどまっているように聞こえても、その中では少しずつ変わり続けているのだと思う。

 

35年経っても、自分たちの音で、今を生きている。

 

その続け方に、私は惹かれる。

2026/09/28

10月1日から、鶴岡市のごみ処理料金が値上がりします。施設へ直接持ち込むごみは、10kgにつき120円から150円へ。30円、率にすると25%の値上がりです。

 

取引先の中には、値上がり前に多量のごみを出されるところもあります。これを機に、長く手をつけられなかったものを片づけようという動きもあるようです。

 

実は当社でも、処分する書類を整理しました。その量、段ボールで15箱分。普段はお客様の片づけをお手伝いしていますが、自分たちの書類となると、いつの間にかこれだけたまっていたのかと驚きます。

 

必要なものを残し、処分するものを確認して持ち込みました。15箱がなくなると、保管場所も気持ちもすっきりします。

 

料金の値上がりは、うれしい話ではありません。それでも今回は、先延ばしにしていた片づけに取りかかるきっかけになりました。お客様の駆け込みの持ち込みを受けながら、私たちも自分たちの片づけに背中を押されたような気がします。

2026/09/26

本日は、毎月恒例の「庄内お片づけ部」の例会でした。

 

庄内お片づけ部は、庄内で活動する整理収納アドバイザーを中心とした集まり。私もメンバーの一人として参加しています。

 

そんな庄内お片づけ部も、今年で5周年を迎えます。

 

「せっかくだから、何かささやかにお祝いしたいね」

 

ということで、今日の例会では5周年のお祝いについて、みんなであれこれ話し合いました。

 

5年というと、長いような短いような。

 

振り返ってみると、毎月こうして集まって、それぞれの活動について話したり、情報交換をしたり、ときにはイベントを企画したり。仕事や立場はそれぞれ違いますが、「片づけ」という共通点でつながりながら、ここまで続いてきました。

 

何かを始めることには勢いが必要ですが、続けることにはまた違った力が必要です。

 

誰か一人が頑張るのではなく、それぞれができる時に、できることを持ち寄る。

 

そんな緩やかなつながりだったからこそ、5年間続いてきたのかもしれません。

 

片づけは、単にモノを減らしたり、きれいに並べたりすることだけではありません。

 

暮らしを整えたり、気持ちを軽くしたり、ときには人生の節目を支えたりするものでもあります。

 

これからも庄内で、そんな「片づけの力」を伝えていけたらと思います。

 

まずは5周年。

 

みんなでささやかに、でも楽しく、お祝いしたいと思います。

2026/09/26

本日は、毎月恒例の「庄内お片づけ部」の例会でした。

 

庄内お片づけ部は、庄内で活動する整理収納アドバイザーを中心とした集まり。私もメンバーの一人として参加しています。

 

そんな庄内お片づけ部も、今年で5周年を迎えます。

 

「せっかくだから、何かささやかにお祝いしたいね」

 

ということで、今日の例会では5周年のお祝いについて、みんなであれこれ話し合いました。

 

5年というと、長いような短いような。

 

振り返ってみると、毎月こうして集まって、それぞれの活動について話したり、情報交換をしたり、ときにはイベントを企画したり。仕事や立場はそれぞれ違いますが、「片づけ」という共通点でつながりながら、ここまで続いてきました。

 

何かを始めることには勢いが必要ですが、続けることにはまた違った力が必要です。

 

誰か一人が頑張るのではなく、それぞれができる時に、できることを持ち寄る。

 

そんな緩やかなつながりだったからこそ、5年間続いてきたのかもしれません。

 

片づけは、単にモノを減らしたり、きれいに並べたりすることだけではありません。

 

暮らしを整えたり、気持ちを軽くしたり、ときには人生の節目を支えたりするものでもあります。

 

これからも庄内で、そんな「片づけの力」を伝えていけたらと思います。

 

まずは5周年。

 

みんなでささやかに、でも楽しく、お祝いしたいと思います。

2026/09/24

明日9月25日は中秋の名月。

 

夜空を見上げると、きれいな月が浮かんでいました。

 

月を眺めながら、ふと思い出した言葉があります。

 

「人は短所で愛され、長所で尊敬される」

 

日本一の投資家とも呼ばれた竹田和平さんの言葉です。

 

なんとも味わい深い言葉だなと思います。

 

仕事ができる。

決断力がある。

頭がいい。

行動力がある。

 

そんな長所を持つ人を見ると、「すごい人だな」と尊敬します。

 

でも、それだけではなかなか人との距離は縮まらないのかもしれません。

 

ちょっと抜けている。

妙なところで頑固。

話が長い。

方向音痴。

意外と小心者。

 

そんなところが見えた瞬間に、なんだかその人が身近に感じられたりする。

 

「ああ、この人にもこんなところがあるんだな」と。

 

考えてみれば、長所と短所というのも、表裏一体です。

 

頑固な人は、信念が強い人かもしれない。

心配性な人は、慎重な人かもしれない。

おせっかいな人は、人への関心が深い人なのかもしれない。

 

見る方向を少し変えれば、短所だと思っていたものが、その人らしさだったりします。

 

日本人には、完全なものよりも、少し欠けたものや不揃いなものに美しさを感じる感覚があるともいいます。

 

満開の桜だけでなく、散っていく桜にも心を動かされる。

 

月も、真ん丸だから美しいとは限らない。

 

少し欠けているからこそ、なんとも言えない風情がある。

 

人間も同じなのかもしれません。

 

若い頃は、自分の短所を直したいと思うことが多かったように思います。

 

でも、年齢を重ねてくると、全部直さなくてもいいんじゃないかと思うようになりました。

 

もちろん、人に迷惑をかけるところは直した方がいい。

 

でも、自分の「ちょっと欠けたところ」まで、無理に真ん丸にしなくてもいい。

 

人は長所で尊敬され、短所で愛される。

 

そう考えると、自分にも人にも、少し優しくなれる気がします。

 

月も人も、少し欠けているくらいが、いいのかもしれません。

2026/09/22

家族でバンドを組もうという話が、いよいよ形になってきた。

 

最初の一曲は、椎名林檎さんの「丸の内サディスティック」。息子がギター、娘がベース。ドラムはひとまずリズムマシンに任せ、私は鍵盤ハーモニカで加わることにした。

 

娘はベースを始めて、まだ一日目。それでも曲を聴きながら、ベースラインをなんとかなぞっている。弾けるようになるまで待とう、ではなく、今できるところから一緒にやってみる。それが家族バンドのいいところかもしれない。

 

さっそく3人で音を合わせてみた。息子のギターが鳴り、娘のベースが続き、そこに私も鍵盤ハーモニカで入る。リズムマシンが一定のテンポを刻んでくれるので、止まっても、また途中から始められる。

 

楽しかった。

 

誰かに聴かせるための演奏ではないし、うまく弾けたかどうかも、今はそれほど気にならない。同じ曲を聴いて、それぞれが自分の音を出す。普段の会話とはまた違う形で、家族と一緒に何かをしている感じがした。

 

そして私は、ドラムにも少し興味が出てきた。今はリズムマシンが担当しているけれど、そこに私が座ったらどうなるだろう。50の手習いでドラムに挑戦するのも面白い。家族と一緒に演奏したいという、はっきりした理由もある。

 

曲が決まって、パートが決まって、実際に音を合わせた。いつかやってみたいと思っていたことは、もう始まっている。次に合わせるとき、娘のベースはどこまで弾けるようになっているだろう。私も鍵盤ハーモニカで、もう少し気の利いた音を入れられるだろうか。

 

そんなふうに、次が楽しみになる一曲目だった。

2026/09/20
20/100 所有の意味を考える   

バイクを手放して4年がたった。

もう十分に乗ったと思っていたし、バイクのない生活にも慣れていた。

ところが最近、突然バイク熱が戻ってきた。

動画でエンジン音を聞き、ローンの計算をしてみたり、まだ買ってもいないのに、ヘルメットやジャケットのコーデまで考えている。

18歳で免許を取った頃、バイクはまず「足」だった。友人とのコミュニケーションツールであり、純粋に走ることが楽しかった。社会人になってからは旅の相棒となり、30代、40代では理想の自分を映す存在になった。

しかし、購入が現実的になると、ふと思った。

私は本当にバイクを「所有」したいのだろうか。

持てば、置き場所が必要になる。保険、税金、車検、メンテナンスもある。乗らなければ「せっかく買ったのに」と気になり始める。

モノを所有することは、その管理も引き受けることだ。

片付けのプロとして考えれば、欲しいのはモノではなく、その先にある体験かもしれない。

風を受けて走る時間。日常から少し離れる感覚。そして「俺は俺を楽しんでいる」と思える自分。

それならレンタルでいい。乗りたい日に、乗りたいバイクを借りればいい。

実に合理的な結論である。

ところが、やはり所有することにも価値がある。

いつでも乗れる。眺められる。手入れをし、自分仕様にしていける。一緒に過ごした時間が、その一台だけの思い出になっていく。

所有とは、単に手元に置くことではなく、そのモノとの関係を育てることでもある。

バイクは、理性だけで考えれば持たない方がいい。それでもエンジンの音や振動、自分で操る感覚が、理性をすり抜けてくる。

4年間、なくても困らなかった。それなのに、またこれほど心が動いている。

欲しいのは、走る体験なのか。

それとも、手間まで引き受けて一緒に時間を重ねたい一台なのか。

答えは、まだ分からない。

ということで、まずはレンタルから。

返すときに「楽しかった」と思うのか、「返したくない」と思うのか。

そこで、本当の答えが出るような気がしている。

2026/09/18

今日は、取引企業の代表を務められた方のお別れ会に参列してきた。

事前にいただいた案内には、ドレスコードについてこう記されていた。

「クールビズでお越しください」

お別れ会でクールビズ。

さて、どうしよう。

おそらく多くの方は喪服で来るだろう。

そんな予想はしていた。

実際、会場に着いてみれば、90%以上の方が完璧な喪服だった。

私も、いつもなら喪服を選ぶ。

それが一番間違いがない。

誰から見ても失礼がなく、何より自分自身が安心できる。

でも今回は、少しだけ冒険してみた。

ダークネイビーのセットアップに白いシャツ。

そして同じくダークネイビーのタイ。

もちろん、悪目立ちしたいわけではない。

人と違う格好をして、何かを主張したいわけでもない。

ただ、何も考えずに「お別れ会だから喪服」とするのではなく、案内にわざわざ書かれていた「クールビズで」という言葉について、一度考えてみたかった。

そして、考えたうえで今日この場所に来た、という自分なりの意思を示したかったのだと思う。

それにしても、なぜ90%以上の人が喪服だったのだろう。

もちろん、大切な方を見送る場である。

失礼のない格好をしたいという気持ちはよく分かる。

私だって、いつもならそうする。

でも、だからこそ少し考えた。

私たちは「こうしてください」と言われたことよりも、「普通はこうするものだ」というものを、ずっと強く信じているのかもしれない。

そして、その方が安心なのだ。

周りと同じなら間違いがない。

誰かから何かを言われることもない。

考えなくても、正解らしきものが用意されている。

でも、それを繰り返していると、いつの間にか「なぜそうするのか」を考えなくなってしまうのかもしれない。

これは服装に限った話ではない。

仕事でも同じだと思う。

「昔からこうしているから」

「みんながそうしているから」

「普通はこうだから」

それは、とても便利な言葉だ。

だけど、ときには立ち止まって、

「なぜ?」

と考えてみる。

そして、自分なりの答えを出してみる。

その答えが、周りと同じでもいい。

違っていてもいい。

大切なのは、違うことではなく、考えたことなのだと思う。

今日の私の服装が正解だったのかは分からない。

でも、案内を読み、故人を送る場について考え、自分なりに選んだ。

たかが服装。

でも私にとっては、ちょっとした冒険だった。

2026/09/16

良いことなのか、悪いことなのか。

 

私は社員に対して、叱ったり、強く注意したりすることがほとんどありません。

 

しかし今日は、さすがに注意しました。

 

作業車両の調子が悪く、販売店の営業スタッフとメカニックの方が、わざわざ会社まで来てくれていました。

 

ところが、肝心の車両が予定より15分ほど遅れて会社に戻ってきました。

 

そこには連絡の行き違いなど、何か事情があったのかもしれません。

 

しかし、その車両を運転していた当社のスタッフが、待っていた販売店の方々に不満をぶつけ始めたのです。

 

私は思わず、

 

「ちょっと待て。それは言い過ぎだ」

 

と止めました。

 

もちろん、そのスタッフにも言い分はあったのでしょう。

 

まずは本人から事情を聞かなければなりません。

 

それでも、あの言い方はよくありませんでした。

 

目の前にいる営業スタッフやメカニックの方が、今回の原因をつくったわけではありません。

 

むしろ、車両の不具合を確認するために、わざわざ会社まで来てくれた方々です。

 

まずは、来てくれたことに感謝する。

 

伝えたいことや不満があるとしても、そのうえで相手に伝わるように話すべきだったと思います。

 

不満を持つことが悪いわけではありません。

 

しかし、その感情を誰に、どのような言葉で向けるのかは、とても大切なことです。

 

私の言葉がどこまで本人に伝わったのかは分かりません。

 

ただ、そのスタッフは自分から、

 

「口が悪かったです」

 

と販売店の方々に謝罪しました。

 

注意することは、気持ちのいいものではありません。

 

それでも、見過ごしてはいけない場面では、はっきり伝えることも社長の役割なのだと思います。

2026/09/14

最近、特殊清掃についてのお問い合わせを多くいただいています。

お話を聞いていると、多くのお客様に共通していることがあります。

それは、

「特殊清掃がどういうものなのか、イメージできていない」

ということです。

それは当然だと思います。

普段の生活の中で、

特殊清掃について詳しく知る機会なんて、ほとんどありません。

「知り合いから、そういうことをしてくれる会社があると聞いて……」

「こういう場合は、特殊清掃になるんでしょうか?」

そんなところから、お問い合わせが始まります。

もちろん、

特殊清掃と遺品整理の違いも分からない。

どこまで作業してくれるのかも分からない。

どのくらいの日数がかかるのかも分からない。

そして一番不安なのが、

「いったいいくらかかるんだろう」

ということだと思います。

数万円なのか。

数十万円なのか。

もっとかかるのか。

想像することすら難しい。

それも無理はありません。

特殊清掃は、

引っ越しや車検のように、

あらかじめ予定しておくものではないからです。

昨日まで普通だった暮らしが、

ある日突然変わる。

離れて暮らしていた家族。

一人暮らしの親。

しばらく連絡を取っていなかった親族。

そして突然、

「部屋をどうしたらいいんだろう」

という問題が目の前に現れます。

そのとき初めて、

「特殊清掃」という言葉を知る方も少なくありません。

だからこそ私たちは、

最初から全部分かっている必要はないと思っています。

特殊清掃なのか。

遺品整理なのか。

家財整理なのか。

まず何をしなければならないのか。

それを一緒に整理するところから始めればいい。

特殊清掃は、

誰かが準備して待っているものではありません。

それは、突然やってくるのです。

だから、

困ったときに「まずここに聞いてみよう」と思ってもらえる存在でありたい。

そんなことを、最近のお問い合わせを通して感じています。

2026/09/12

今日は、久しぶりに下駄箱の整理をしました。

というのも、最近また革靴のことが気になり始めて、ふと考えてみたら、ちゃんとメンテナンスするのは多分2年ぶりくらい。

いや〜、ずいぶんサボっていました(笑)

下駄箱から革靴を一足ずつ出してみる。

仕事で履いている靴、少しカジュアルな靴、最近あまり出番のなかった靴。

改めて並べてみると、

「ああ、こんなのも持っていたな」

なんて靴もあります。

そして靴だけではなく、靴磨きのグッズも見直してみました。

ブラシやクリーム、ポリッシュなど、いつの間にか増えていたものを整理して、

「これは何のために使うんだっけ?」

と確認しながら、これから使うものを選び直す。

足りないものは新しく揃えることにしました。

こういう時間って、なんだか楽しいんですよね。

革靴というのは面白いもので、新品が一番格好いいとは限りません。

履いて、シワが入って、磨いて、また履く。

そうやって少しずつ自分の靴になっていく。

傷だって、見方によってはその靴の歴史です。

そう考えると、革靴は「買って終わり」ではなく、買ってからが始まりなのかもしれません。

それなのに2年間も放ったらかし(笑)

ちょっと反省です。

でも今回、下駄箱を整理して、靴磨きの道具も見直してみたら、不思議と新しい靴が欲しいという気持ちより、

「今持っている靴を、ちゃんと履こう」

という気持ちになりました。

これって、靴に限った話ではないのかもしれません。

新しいものを買う楽しさもあるけれど、今あるものにもう一度手をかけて、その良さを取り戻していく楽しさもある。

手入れをするというのは、物をきれいにするだけではなく、自分と物との関係を整えることなのかもしれません。

ということで、しばらくサボっていた革靴のメンテナンスを再開します。

ブラシをかけて、クリームを入れて、また履く。

さて、どの靴から始めようかな。

そんなことを考えている時間も、革靴の楽しみのひとつです。

2026/09/10

今日、ふと思い立ってAIにこんな質問をしてみました。

 

「鶴岡で遺品整理といえば?」

 

すると、私たちの「お片付けのプロ集団アンカーズ」の名前が出てきました。

 

これはちょっと嬉しい。

 

でも同時に、これからの時代、会社やお店の「選ばれ方」が少しずつ変わっていくのかもしれないな、と感じました。

 

これまでは何かを探すとき、

 

「鶴岡 遺品整理」

 

とGoogleなどで検索して、表示されたホームページを一つひとつ見比べるのが一般的でした。

 

ところがこれからは、

 

「鶴岡で遺品整理を頼むならどこ?」

 

「遠方に住んでいるけれど、鶴岡の実家を片付けてくれる会社は?」

 

「遺品の整理から買取、不要品の処分までまとめてお願いできるところは?」

 

そんなふうにAIへ直接尋ねる人が、もっと増えていくのでしょう。

 

では、そのときAIは何を根拠に会社を紹介するのか。

 

たぶん大切なのは、自分たちが何者で、どんな仕事をして、何を大切にしているのかを、日頃からきちんと発信しておくことなのだと思います。

 

アンカーズは、鶴岡市にある株式会社環境管理センターから生まれたお片付けの専門部隊です。

 

2013年から、鶴岡市をはじめ庄内地域で、遺品整理、家財整理、空き家整理などのお手伝いをしてきました。

 

私たちの特徴は、ただ家の中のモノを運び出すだけではありません。

 

必要なモノを整理する。

まだ使えるモノは買取やリユースにつなげる。

そして不要になったモノは、廃棄物処理のルールに沿って適正に処理する。

 

母体が長年地域で廃棄物処理に携わってきた会社だからこそ、整理からその先まで一つにつなげて考えることができます。

 

そして、遺品整理のご相談では、鶴岡を離れて暮らしているご家族からご連絡をいただくことも珍しくありません。

 

「実家を片付けたいけれど、遠くて何度も鶴岡へ帰れない」

 

「親が施設へ入り、家をどうしたらいいのかわからない」

 

「家の中にモノが多すぎて、どこから手をつければいいのかわからない」

 

そんなご相談です。

 

遺品整理や実家の片付けというのは、単純に「モノを捨てれば終わり」という仕事ではないと、私たちは考えています。

 

古い写真が出てくることもある。

手紙が出てくることもある。

本人にとっては価値がないように見えても、ご家族にとって大切なモノが見つかることもあります。

 

だから私たちアンカーズが大切にしているのは、

 

「モノは生きている」

 

という考え方です。

 

モノの向こう側には、それを使っていた人の暮らしがあります。

 

だから、できるだけ丁寧に整理する。

 

使えるモノなら、次に使ってくれる人へつなぐ。

 

そして役目を終えたモノは、きちんと処理する。

 

それが、廃棄物処理の会社から生まれたアンカーズらしい遺品整理なのだと思っています。

 

今回AIに「鶴岡で遺品整理といえば?」と聞いてみて、改めて気づきました。

 

AIに名前を覚えてもらうためにブログを書くのではない。

 

私たちが日々どんな仕事をしているのか。

何を大切にしている会社なのか。

どんなことでお客様の力になれるのか。

 

それをコツコツと発信し続けた結果として、

 

いつの日か、

 

「鶴岡で遺品整理といえば、アンカーズ」

 

と、人からもAIからも自然に名前を挙げてもらえる。

 

そんな会社になれたら嬉しいですね。

 

今日もまた一つ、ブログを書いておきます。

 

未来の誰かが、

 

「鶴岡の実家、どうしよう」

 

と困ってAIに尋ねたとき、この文章がその人と私たちをつないでくれるかもしれませんから。

2026/09/08
8/100 稲刈りの始まった庄内  

稲刈りが始まると、いい匂いがする。

刈ったばかりの稲の青っぽい匂いなのか、藁の匂いなのか、それとも土の匂いなのか。

うまく説明できないのだけれど、この時期になると庄内平野全体から、なんともいえないいい匂いがしてくる。

そして、稲刈りの始まった庄内平野を眺めていると、ふと「母をたずねて三千里」のアニメに出てくるような風景だなと思う。

どこまでも続く大地。

その上を渡っていく風。

遠くまで見渡せる大きな空。

そんな世界が、ここ庄内平野には広がっている。

ついこの前まで一面黄金色だった田んぼも、稲刈りが始まると少しずつ景色を変えていく。

毎年見ている風景なのに、この季節はやっぱりいい。

秋になったことは、カレンダーを見るより先に、景色と匂いが教えてくれる。

……なんて、のんびり秋を感じていたいところなのだが、今月はシルバーウイークが控えている。

だから、忙しい。

連休はもちろんありがたい。

働く人にとって休みが増えることは嬉しいことだと思う。

ただ、私たちのような仕事は、休みが増えたからといって仕事そのものが減るわけではない。

一週間に出るゴミの量は、休みが一日増えたからといって一日分なくなるわけではない。

となれば、その前後にどうしても皺寄せがくる。

そして、その皺寄せを吸収するために動かなければならないスタッフもいる。

そう考えると、連休が増えることって、本当にみんなにとっていいことなのかな〜、なんて思ってしまう。

もちろん、休むことは大切。

でも、休みは多ければ多いほどいい、というものでもないような気がする。

働いて、休んで。

また働いて、休む。

私には、週休2日くらいのこのリズムがちょうどいい。

稲刈りが始まった庄内平野を眺めながら、そんなことを思う9月である。

2026/09/06

今日は「独創百貨」というイベントに参加してきました。

そこでお会いしたのが、長南光さん。

光さんは鶴岡市の櫛引地区で、30年以上前から農家民宿を営んでいます。そこには日本国内だけでなく、海外からも人が訪れるのだそうです。

なぜ、遠く海外からわざわざ櫛引まで人がやって来るのか。

今日、光さんのお話を聞き、その暮らしや作品に触れていると、なんとなくその理由が分かるような気がしました。

その光さんが取り組んできたものの一つが、**「綴れ織」**です。

私は綴れ織というものを、これまでほとんど知りませんでした。

そしてまず驚いたのが、その途方もない手間です。

8時間織り続けて、進むのはわずか1センチ。

一本一本、糸を通しながら、少しずつ絵を描くように織っていく。

実際に作品を見せていただくと、表側は本当に美しい。

ところが、裏返してみると全く違います。

たくさんの糸が複雑に絡み合い、表から見れば必要のなくなった糸も残っている。

今日のお話で私が一番心に残ったのが、この「表と裏」の話でした。

鶴岡出身の綴れ織工芸家に、遠藤虚籟という方がいます。

虚籟は、綴れ織の美しい表側を支えながら、最後には不要となる裏側の糸に、戦争で亡くなった人たちを重ね、その糸を供養していたのだそうです。

表に現れる、美しいもの。

その一方で、それを支えながら、表からは見えなくなっていくもの。

さらに、

表は、今を生きている私たち。

裏は、脈々と命をつないできたご先祖。

そんなふうにも捉えるのだと聞きました。

なんとも深い話です。

私たちは普段、どうしても「見えているもの」で物事を判断してしまいます。

今ここにいる人。

今ある家族。

今ある仕事。

そして、今の自分。

でも、その裏側には必ず、ここに至るまでの膨大な時間があります。

たくさんの人がいて、出会いがあって、別れがあって、うまくいったことだけではなく、失敗や悲しみもあった。

そして、名前すら知らないご先祖たちが命をつないできたから、今の自分がいる。

それはまるで、綴れ織の裏側にある無数の糸のようです。

8時間で、わずか1センチ。

その1センチを見て、「きれいだな」と思うだけでもいい。

でも、その1センチの向こうにある8時間を想像する。

裏側にあるたくさんの糸を想像する。

さらには、その糸に込められた人の思いや、そこまで脈々とつながってきた時間にまで想像を巡らせる。

そこに思いを馳せられる人こそが、綴れ織の本当の価値を知っている人なのだと感じました。

そして、これは綴れ織だけの話ではないのでしょう。

人を見るときだって同じです。

目の前に見えている姿だけが、その人のすべてではない。

その人の後ろには、私には見えない時間があり、見えない人たちがいて、たくさんの糸がつながっている。

見えているものは、見えていないものに支えられている。

30年以上、櫛引で暮らし、国内だけでなく海外から訪れる人たちを迎えてきた光さん。

その光さんが織った作品を眺めながら、今日は美しい「表」以上に、その向こう側にある「見えないもの」について考えさせられました。

綴れ織を知ったというより、

綴れ織を通して、ものを見る目を一つ教えてもらった。

2026/09/04
4/100 備えるという仕事   

全国的に大雨になる恐れがある。

 

そんな報道を受けて、会社の廃棄物処理工場では、浸水に備えて土嚢を設置していました。

 

写真は、その時の様子です。

 

結果から言えば、幸いなことに心配していたほどの雨は降りませんでした。

 

せっかく並べた土嚢も、結果だけを見れば「無駄足」だったのかもしれません。

 

でも、私はこの光景を見て、なんだか嬉しくなりました。

 

というのも、この土嚢の設置を、私が社長として指示したわけではなかったからです。

 

天気予報を見て、現場の人たちが自分たちで考え、

 

「念のため、やっておこう」

 

と動いてくれた。

 

これは、とても大切なことだと思います。

 

何かが起きてから、「どうしましょう」と指示を待つのではなく、起こるかもしれないことを想像して、自分たちで備える。

 

そして、結果的に何も起こらなければ、それでいい。

 

土嚢を並べた時間が無駄だったのではなく、何も起きなかったからこそ、それが一番だったのだと思います。

 

私たちの仕事も同じです。

 

事故が起きないように。

トラブルにならないように。

お客様を困らせないように。

 

日々の仕事の中には、「何も起きないためにする仕事」がたくさんあります。

 

そして、そういう仕事は、何も起きなければ目立ちません。

 

それでも誰かに言われる前に気づき、考え、動く。

 

そんな人たちが現場にいることを、社長として頼もしく感じた一日でした。

 

備えるとは、何かが起きることを当てることではなく、何かが起きても困らないように動いておくこと。

 

土嚢が活躍しなかったことを喜びながら、そんな会社であり続けたいと思います。

2026/09/02
2/1000 新いスタート  

今日から、ブログ100日実践を始めます。

毎日ブログを書くことは、これまでも続けてきました。

 

それでも改めて「100日」と決めて取り組んでみようと思います。

環境管理センターブログと1日おきに更新して行きます。


そんな中届いた一枚のエッセイ
タイトルは「一歩を踏み出す」

でした。

 

そこには、伊能忠敬の話が紹介されています。

 

50歳で家督を譲り、江戸に出て天文学を学び始める。

そして55歳で蝦夷地の測量へ。

 

そこから17年にわたり、全国を歩き続けたそうです。

 

一歩の幅を一定に保ちながら距離を測り、夜には星を観測する。

 

そんな気の遠くなるような地道な積み重ねが、後の日本地図につながっていきました。

 

ここには


大切なのは、いつ始めるかではなく、始めてから何を粘り強く続けられるか

 

とあります。

 

これは、100日実践にもそのまま重なるような気がします。

 

「100日続ける」と考えると、少し大変そうに感じます。

 

でも、100日という日はありません。

 

あるのは、今日一日だけです。

 

今日書く。

明日になったら、またその日の一歩を踏み出す。

 

その繰り返しが、気がつけば100日になる。

 

考えてみれば、伊能忠敬が歩いた約4万キロも、最初はたった一歩だったのでしょう。

 

ブログも同じです。

 

一回一回は小さな一歩。

 

大したことを書けない日もあるでしょう。

忙しくて、書くことがなかなか見つからない日もあると思います。

 

それでも書く。

 

その一歩一歩の先に、今はまだ見えていないものがあるのかもしれません。

 

「一歩踏み出した先に 新しい景色が広がる」

 

100日後に何が見えるのか。

 

それを今から決める必要もないのでしょう。

 

まずは今日の一歩。

 

100日後の景色を楽しみに、今日から始めます。