最近、「ペンキが不足しているらしい」とか、「秋には靴が足りなくなるかもしれない」といった話を耳にするようになった。
こういう話題が出てくると、どうしても頭をよぎるのが、昔のオイルショックのトイレットペーパー騒動だ。買いだめが広がり、店頭から紙が消えたという話は有名だが、あの時は実際には本当に無くなったわけではなかったとも言われている。
むしろ「無くなるらしい」という空気が、無くしてしまった。
以前、当時買いだめしたトイレットペーパーがまだ残っているという記事を読んだ記憶がある。笑い話のようだが、これはとても象徴的な出来事だと思う。
備えは大切だ。しかし備えすぎると、誰かの分まで抱え込むことになる。
米の時もそうだった。少し不安になると、人は多めに買う。それが重なると、本当に足りなくなる。結果として社会全体が不安定になる。
備えるというのは、本来は安心のための行動のはずだ。
だから私は、「正しく備える」という言葉がしっくりくる。
例えば、いつもより少しだけ多めに用意しておく。普段使っているものを切らさないようにしておく。それだけで十分だと思う。
過剰に抱え込まなくても、静かな備えはできる。
備えるとは、不安に振り回されることではなく、日常を守ることなのだと思う。
珍しく妻がそんなことを言って、騒ぎ出した。
「今年こそ赤川花火を観たい」と。
思えば昨年は、チケットを取り損ねた。
妻と娘は遠くの屋上ビアガーデンへ。
私は息子と、町中が静まり返った頃を見計らって、ガラガラのファミレスでのんびり夕食だった。
けれど静かな店内にも、尺玉の振動だけは届いてくる。
窓の外には何も見えないのに、「ああ始まったな」と分かるあの感じ。
今ごろ何をやっているのかな、と何度も思った。
赤川花火のすごさは、大きさだけではない。
全国の花火師が競い合う大会で、音楽とぴたりと重なる演出は、もはや一つの作品だ。
最後のワイドスターマインになると、空も地面も一緒に鳴る。
庄内にいると、やっぱり特別な花火だと思う。
だからだろうか。
春のうちから妻が動き出した。
さて今年の花火は、何をやっているのだろう。
できれば今年は、
あの音の真下で観たいものだ。
新聞のコラムに「偶然の出会いは備えた者に訪れる」とあった。
いい言葉だと思いながら読んでいたのだけれど、読み終えてから少し考えてしまった。
備えた者とは、何を備えている人のことだろう。
知識だろうか。経験だろうか。努力だろうか。
けれど最近は、少し違う気がしている。
偶然というのは、突然起きる出来事ではなくて、むしろ「見えているかどうか」の問題なのではないかと思うのだ。
人は、自分が関心を持っているものしか見えない。
同じ場所にいても
同じ人に会っても
同じ話を聞いても
そこに意味を見つける人と、何も感じない人がいる。
違いは能力ではなく、ビジョンだと思う。
どこへ向かいたいのか。
何を大切にしたいのか。
どんな仕事をしたいのか。
その輪郭がぼんやりでもある人には、偶然がチャンスとして現れる。
逆に言えば、それ以外は静かに通り過ぎていく。
偶然というのは、出来事そのものではなくて、
自分の中にあるビジョンが働かせているノイズフィルターのようなものなのだと思う。
だからチャンスは、探すものではなくて、見えるようになるものなのかもしれない。
「自分は何をやってきたのか」と立ち止まることがある。
その瞬間、ちょっと血の気が引く。
見えていなかったものが、急に姿を現す。
ああ、怖いなと思う。
だけれど、目を逸らす訳にも、逃げる訳にもいかない。
逃げたように見える選択だって、たぶんあるのだろう。
でもきっと、それは少し勿体ない。
今はちょうど、その真っ只中にいる。
この先に何があるのか。
そりゃ、気になるよね。
昨年の4月1日、体重69.9kg、へそ周り85.5cm。
今年の4月1日、体重64.2kg、へそ周り77.5cm。
ちょうど一年で、体重は5.7kg減り、へそ周りは8cm細くなった。
こうして数字だけ並べると立派な変化に見えるが、特別なことをしたわけではない。半年間パーソナルジムに通い、その後は教わったことを維持するために、毎朝10分ほどのトレーニングを続けているだけである。
たった10分とはいえ、毎日続けるとなかなか侮れない。
先日、クローゼットの奥に掛かっていたオーダースーツを久しぶりに取り出してみた。かなりタイトな仕立ての一着で、以前、座った拍子にパンツのポケットが裂けてしまったことがある。修理はしたものの、それ以来なんとなく履けないままになっていた。
ところが今年、あらためて袖を通してみると、不思議なほど自然に収まった。
「ああ、履けるな」
そう思った。
体重が減ったというより、自分の身体が静かに整ってきたのだと感じた瞬間だった。
この一年は会社の働き方も変わった。休み方も変わり、仕組みも見直した。慌ただしく動いていたはずなのに、振り返ってみると、自分自身のリズムも少しずつ整っていたように思う。
数字は正直だが、スーツはもっと正直だ。
履けなかった一着が、もう一度履けるようになる。その変化は、暮らし方が変わった証拠なのかもしれない。
来年の4月1日には、どんな数字になっているだろうか。そう思いながら、今朝も変わらずダンベルを握った。
892/1000 うるさいプリンター
最近、私の仕事の中で欠かせない作業のひとつに、産業廃棄物のマニフェスト発行がある。マニフェストとは、産業廃棄物