帰宅して車を降りると、ふんわりとニセアカシアの香りがした。
甘くやわらかな、初夏の匂いだ。
この時期になると、至る所で見かける。
ちなみにニセアカシアは、名前に“ニセ”とついているが、実際には北米原産の外来樹で、正式には「ハリエンジュ」という木らしい。
日本に入ってきた当時、アカシアと勘違いされたことから「ニセアカシア」と呼ばれるようになったそうだ。
この香りは強く記憶に残っている。
小学生の頃の通学路。
あの頃の記憶の中には、ニセアカシアの香りと、草や土がムワッと立ち上がる青々しい匂いが混じっている。
雨上がりだったのか、朝露だったのか。
道端の草はいつも勢いがあって、子供だった自分は、その匂いの中を毎日歩いていた。
それにしても、“ニセ”という名前はやはり少し気の毒である。
外来種だからしょうがないのかもしれないが、私の記憶の中ではずっと忘れられない
中東情勢の影響による品不足が、じわじわと押し寄せてきた。
ほんの少し前までは遠い国のニュースのように感じていたことが、今は現場の空気を確実に変え始めている。
数ヶ月で状況は一変した。
私たちのお客様の中にも、事業系のゴミ袋を確保するために、あちこち探し回っている方がいる。
業者同士でも、「オイル系が入らない」「在庫が危ない」と連絡を取り合い、互いに融通しながら何とか現場を回している状態だ。
面白いもので、人間は「無い」と聞くと急に欲しくなる。
本当はそこまで必要ではなくても、不安から必要以上に買いだめしてしまう。
そして、その積み重ねがさらに品不足を助長させていく。
令和の米騒動の時もそうだったが、物が消えていくスピード以上に、不安が連鎖するスピードの方が早いのだと思う。
普段は当たり前にあると思っていたものが、実は当たり前ではなかったことに気づかされる。
物流も、資源も、燃料も、世界のどこかと繋がっている。
地方の一企業であっても、その影響からは逃れられない。
けれど、こんな時だからこそ見えるものもある。
「困った時はお互い様」と自然に声を掛け合う同業者の存在や、限られたものを工夫して使おうとする現場の知恵だ。
大量にあり続けることを前提にした時代から、足りない中で回していく時代へ。
そんな空気が、静かに始まっているのかもしれない。
本日より、新しいスタッフが2名加わった。
この春だけで、合わせて5名の新しい仲間を迎えることができたことになる。
会社というのは不思議なもので、人が増えるだけで空気が変わる。
朝の挨拶、休憩中の会話、事務所を歩く足音まで、どこか少し新鮮になる。
そして何よりありがたいのは、新しい視点で会社や仕事、そして環境そのものを見てくれることだ。
長くいると、どうしても「いつもの景色」になってしまう。けれど新しく入った人は、私たちが当たり前と思っていたことに疑問を持ち、良い所も悪い所も見つけてくれる。
「ファイリングすごいですね!」
「こうしたらもっと分かりやすいのでは?」
「これ、こんな活用できませんか?」
そんなアイディアを、早速口にしてくれる。
その感覚がなんだか嬉しい。
会社というのは、慣れた瞬間から少しずつ固くなっていくものなのかもしれない。
新人教育というと、こちらが教える側だと思いがちだ。
もちろんそれもある。けれど実際には、教えられているのは私たちの方かもしれない。
廃棄物の仕事も、環境の仕事も、ただ“処理する”だけでは未来が広がらない。
だからこそ、新しい感覚、新しい価値観、新しい世代の視点が必要なのだと思う。
この春、会社の中に少しずつ新しい風が流れている。
その風が、どこまで景色を変えていくのか、今から楽しみである。
昨年より始まった古道具レスキュープロジェクトも、気づけば1年が経過した。
走りながら考え、考えながら動いた一年。
やってみたからこそ見えてきた課題も、やはり多い。
古道具の“入り口”を担う私たち家財整理業者は、どうしても現場でのスピードが求められる。
限られた時間の中で片付けを進める必要があり、「これは救えるかもしれない」と思っても、一つひとつ丁寧に向き合う余裕が持てない場面も少なくない。
一方で、“出口”となる築150年の町家カフェ 古今coconn では、また別の現実も見えてきた。
地元の人が古道具を見ると、
「これ、家にもある」
そんな反応になることが意外と多い。
もちろん、それは悪いことではない。
むしろ地域に根付いた文化だからこその反応なのだと思う。
ただ、面白がってくれる人、価値を“再発見”してくれる人はまだ少数派だ。
ところが、県外やイベントへ持って行くと、不思議なほど売れるものが変わる。
土地が変わるだけで、“ただの古いもの”が“魅力的な一点物”に変わる瞬間があるのだそうだ。
そんな中、このプロジェクトに新たな仲間が加わった。
起業家の 佐藤大栄 君だ。
彼はイタリア家庭料理のカフェを10年経営し、自身も農業生産者。
さらに、廃棄される果物からジュースを製造し、都内で販売する事業まで立ち上げ、今も継続している。
“捨てられるもの”に新たな価値を見出し、人に届ける。
その感覚は、古道具レスキューともどこか重なる。
しかも彼は、人脈が国内外に広い。
これまで庄内の中だけで考えていた景色が、一気に外へ開いていくような予感がある。
レスキューの担い手。
新たな販路。
地域外との接点。
そして、「古いもの」を面白がる視点。
古道具レスキュー2年目。
また少し、面白くなってきた。
さて、ここからどう変わっていくのか。
私たち自身も、まだ見たことのない景色を楽しみにしている。
最近、ふとした流れでトムハンクス主演のアポロ13を観た。
きっかけは、マーキュリー計画なんかもあって最近宇宙が熱いからかもしれない。それで人類が初めて宇宙へ挑み始めた頃が気になって、急にアポロ計画を観たくなった。
改めて観ると、この映画は単なる宇宙映画ではない。
国家の威信、冷戦、開拓者精神、現場力、そして時代の熱狂。そういうものが全部詰まっている。
しかし今回、一番驚いたのは別の部分だった。
「この頃のコンピューターって、どれくらいの性能だったんだろう?」
気になって調べてみると、これが本当に驚く。
現在のスマートフォンどころか、今どきの家電以下とも言われるレベル。メモリ容量はわずか数十KB。現代の感覚で言えば、ほとんど電子計算機付き電卓のような世界だ。
それなのに、人類は月へ行った。
しかも当時は、今のようにコンピューター任せではない。
最後は人間が判断し、人間が計算し、人間が責任を負っていた。
映画の中で、地上スタッフたちが紙を広げ、必死に計算しているシーンがある。あれは演出ではなく、本当にああいう世界だったらしい。
今はスマホ一台で世界中と繋がり、AIが文章を書き、自動運転まで現実になろうとしている時代だ。しかし、半世紀以上前の人たちは、今より遥かに不便な環境で宇宙へ向かっていた。
しかも、その頃には既にアポロ計画そのものが“当たり前”になり始めていたというのだから面白い。アポロ11号で世界中が熱狂した月面着陸も、13号の頃にはテレビ中継が打ち切られるほど関心が薄れていたらしい。
未来は、慣れる。
どれほど凄い技術も、日常になれば景色になる。
でも、景色になったものの中にこそ、本当はとんでもない努力や挑戦が隠れているのかもしれない。
そう考えると、アポロ13号という物語は、宇宙の話でありながら、人間の話なのだと思う。
限られた技術。
限られた資源。
失敗が許されない状況。
その中で、「必ず帰す」と決めた人たちの執念。
あれはきっと、宇宙開発というより、“人間の底力”を映した映画なのだ。