郊外を走ると、よく見かけるヤード業者の敷地。
近い業種ということもあって、私はつい視線を向けてしまう。
ある日、そこに並んでいたのは、コンバインの群れだった。
稲刈りの主役である大型農業機械が、所狭しと並んでいる。
今はもう役目を終え、金属スクラップになるのだろう。
就農者の平均年齢は70歳とも言われる。
高齢化の影響もあるのだと思う。
けれど背景には、米価の高騰による機械の更新もあるのかもしれない。
数十年ぶりとも言われる価格上昇。
潤いが生まれたことで、老朽化した機械を入れ替えた農家もあったのではないか、と想像する。
機械は入れ替えがきく。
性能も上がる。
経営としては自然な判断だろう。
けれど——
あの機械を入れ替えるとき、
どんな未来を描いたのだろう。
もうひと踏ん張りしようと思ったのか。
誰かに託す準備だったのか。
それとも、区切りを見据えた決断だったのか。
事情はそれぞれ違うはずだ。
ただ、何十年も田んぼを走った相棒を手放し、
新しい一歩を選ぶその瞬間には、
きっと何かしらの未来の風景があったはずだ。
そう考えると、
あのヤードに並ぶコンバインの列が、
ただの金属の塊には見えなくなり、
少し胸が熱くなった。
新しいスタッフが入ると、
緊急連絡先やアレルギーと一緒に血液型も確認する。
血液型と性格の関係には
医学的な根拠はない。
それは分かっている。
けれど、どうしても人は意味を探したくなる。
現在スタッフは29名。
A型14名
O型5名
B型7名
AB型2名
A型がほぼ半数。社内最大勢力だ。
日本人全体と比べてもA型はやや多く、O型は少なめ。
ふと、思い出した。
先代の社長――父はO型だ。
そして、なぜかO型の採用が当時は多かったと聞く。
「社長に似た人が集まる」
そんな話を昔、誰かがしていた。
偶然だろう。
でも、完全に偶然だろうか。
私はA型だ。
几帳面と言われれば、まあ否定はできない。
段取りを組み、やり切ることを好む。
曖昧さより、整っている方が落ち着く。
気がつけば、社内最大勢力はA型になっていた。
会社は、少しずつ社長に似ていくのかもしれない。
O型が多かった時代は、
きっともっと大らかで、勢いがあったのだろう。
今は、積み重ね型。
地道で、堅実で、抜けがない。
どちらが良い悪いではない。
ただ、時代と共に求められることも変わる。
血液型に根拠はない。
けれど、会社の空気を考えるきっかけにはなる。
組織は、社長の鏡。
そう考えると、
この14という数字は、少しだけ責任を感じる数字でもある。
昨日はバレンタイン。
末の娘がキッチンを占領している。
毎年この時期は姉たちと取り合いだったが、今は独壇場。湯せんの音と甘い匂いが家に広がる。
「板チョコ買ってきて」
コンビニで値札を見て、少し立ち止まった。
一枚200円越え。
私の記憶ではなぜか108円。
物価は上がると聞いているが、自分の中の基準はなかなか更新されない。
たとえば、英国の名門 Crockett & Jones の革靴。
昔は6万円台だったモデルが、今は10万円を超える。
良い靴だと分かっている。
似合うだろうとも思う。
それでも、昔の値段を知っている身としては――
流石に手が出ない。
だから中古市場がにぎわうのかもしれない。
“記憶の価格”に近いから。
そんなことを考えている横で、娘はチョコを刻み、溶かし、流し込む。
無言で、黙々と。
そこへ妻がひと言。
「買ったのそのままやったら?」
きっとキッチンの掃除のことについて考えているであろう妻は
実にドライだ。
娘は聞こえないふりをして、また混ぜる。
そして息子。
ワイヤレスイヤホンを装着し、別世界。
私の世代でバレンタインといえば、「もしかして」みたいな妄想をチラッとでもしたものだが、
現代の男子は興味がないのか、何を話しても、会話にはならない。
甘い匂いのキッチン。
値段に引っかかる父。
現実的な母。
自分の世界にいる息子。
同じ家の中で、それぞれが違う温度でこの日を過ごしている。
そんな日々ももう数年で無くなるのかと思うと寂しさが漂った。
熱戦が続く
ミラノ・コルティナダンペッツォオリンピック。
我が家でも、自然と会話の中心になっている。
妻は言う。
「あの床擦るやつ、すごいねー」
——カーリングのことだ。
娘は
「あのシュー・シューって滑るやつ面白い」
——スピードスケート。
さらに会場の山々を見て、
「ここ景色きれい。行ってみたい」と目を輝かせる。
すると妻は、
「景色とか興味ない。京都がいいなー」と話題を日本に戻す。
イタリアから一瞬で京都へ。わが家らしい。
そして息子は、少し腕を組んで、
「まぁ、スキーならやってもいいけどね。」
となぜか上から目線だ。
私はというと、
先輩社長のご親戚でもある
荻原大翔選手(おじいさんが鶴岡の人)のスノーボードビッグエアに注目している。
あの数秒の空中にすべてをかける姿。
メダルを信じて応援している。
同じテレビを見ているのに、
見ているものはみんな違う。
景色を見ている人。
京都を思っている人。
スキー目線で語る人。
空中の一瞬に胸を熱くする人。
それぞれの目線で楽しみながら、
同じ時間を共有している。
オリンピックのすごさは、
メダルの色だけではなく、
こんな夜をつくってくれるところにあるのかもしれない。
我が家もまた、それぞれの目線で応援している。
今年はいろいろとチャレンジしたいと思っている。
だからこそ、
デフォルトでやるべきことを前倒しでどんどん進めている。
準備は早いほうがいい。
余裕があるほうがいい。
だが最近、強く思うことがある。
大切なのは、「やり切る」ことだということだ。
99%まで仕上げたつもりでも、
その時が来ると、また最初から見直す羽目になる。
資料も、仕組みも、覚悟も。
結局、未完成は未完成だ。
100%までやってしまえばいい。
そこまで持っていけば、
あとはボタンを押すだけで済む。
この「押せる状態」まで持っていくかどうか。
ここが分かれ目だと思う。
ふと思い出す。
昔、ゼミの先生が言っていた。
「99℃では水は沸騰しない」
99℃と100℃。
たった1℃の違いだが、
状態はまるで違う。
99%までやることは、
実は1%と変わらないのかもしれない。
沸騰しない限り、
水はただの熱い水である。
今年は、
“熱い水”で終わらせない。
やり切る。
沸騰させる。
その1℃を取りにいく。