エアコンの取り外しの依頼があって行ってきた。
90代ぐらいのおばあちゃんの住むマンションだ。予定を覚えていてくれるか心配だったが、エアコンの下に脚立まで構えていてくれた。
入ると対面キッチンのダイニング側に、仏壇が置かれていた。ご主人に先立たれたのだろうということが自然と伝わってきた。
エアコンはガスを回収するために電源を入れる必要があるので、「リモコンありますか?」と聞くと、「これかしら」と差し出されたのは、なぜか爪切りだった。
「あ〜ちょっと違うかな〜」と言って、本体のスイッチで強制運転をかけてガスを回収する。
作業の間、いろいろなお話をした。
買い物はどうされていますか?と聞くと、「近くのスーパーまで歩いて行ってるの。健康のためにね」と教えてくれた。
なんとかんく、持ち物や所作で現役の頃の職業を推測してしまうのが悪い癖で、先生ぽいなと思い、先生をされていましたか?と聞いてみると、
「隣町の役場に勤めてました」とのことだった。
あの役場は新しくなりましたが、行かれましたか?と聞くと、「この前、娘に連れていってもらって見てきたの、だいぶ変わってたね〜」と少しうれしそうに話してくれた。
そして最後に、しっかり作業料金は値切られた。
この方の人生の数万分の1の時間を共有して、人生のほんの一部だけれどを伺うことができた。
昨日、「侍タイムスリッパー」を観た。幕末の会津藩士が140年後の現代に現れるという物語だが、印象に残ったのは刀でも戦いでもなく、ひとつの静かな所作だった。
どうでもいいようなワンシーンだが、混乱の中でも彼は布団をきちんと畳んでその場を後にする。
ほんの短い場面なのに、「武士とはこういうものだ」と自然に思わせる力があった。もちろんフィクションなのだけれど、不思議と納得してしまう。きっと武士ならそうするのだろう、と。
実は私は朝の布団を畳むかどうかで、妻によく注意される。どうせ私がもう一度畳むのだから、そのままでいいと言われるのだ。合理的に考えればその通りである。
けれど今朝は違った。映画の余韻のまま、きっちり畳んでから出社した。
すると不思議なもので、気持ちが整う。
布団を畳むというのは効率の問題ではなく、「後始末」なのだと思う。自分がいた場所を整えて去るという、小さな区切りのようなものだ。
私たちの仕事もまた後始末に関わっている。暮らしのあとを整え、時間の痕跡を整え、人の営みを次へ渡していく仕事だ。
整えて去る。
それだけのことなのに、そこには確かな気持ちよさがある。
鶴岡公園の梅が咲いていた。
やっと春だな、という実感がある。
「明けない夜はない」という言葉がある。けれどそれに対して、「明けない夜もある」という少し意地の悪いような言葉もあるらしい。
どちらも本当なのだと思う。
人生には、簡単には明けたと言えない夜もある。そうは言っても、明けたあとで振り返ってみれば、あれは夜だったのだなと思うこともある。
明けても、もしかして明けなくても、大切なのは希望を持つことなのだと思う。そういう気持ちになれない時もあるし、絶望しているような時もある。
それでも希望を持とうとする。
持てなくても、持とうとする。
その姿勢そのものが、生きるということなのではないかと思う。
私の五十年の人生で得た知見として、「ずっと続くことはない」ということがある。良いことも続かないし、悪いことも続かない。そもそも良いか悪いかさえ、長い目で見なければわからないことも多い。
永遠というものはない。
鶴岡公園の梅が咲いていた。
やはり春は来るのだ。
昨日、49歳になった。
魚座と牡羊座の分岐点に生まれているせいか、自分にはどこか二面性があるような気がしている。
考え込む自分と、動き出す自分。慎重さと勢い。
そのどちらも確かに自分の中にあるように思う。
もっとも、そんなことを言ってみても、バカであることには変わりがないのだけれど。
けれど最近は、それでいいのだと思うようになった。
むしろこれからは、もっとバカでなければならないのではないかと感じている。
分かったつもりにならないこと。
偉くなった気にならないこと。
人の話をきちんと聞くこと。
そして、新しいことに素直に驚けること。
そういう意味での「バカ」でいたいと思う。
悪くしたい人なんて、いない。
誰だって、良くしようと思って動いている。
けれど、結果として悪くなっていることがある。
丁寧にやったはずなのに。
考え抜いたはずなのに。
それでも、なぜか噛み合わない。
そんな時に必要なのは、「もっと頑張ること」ではなくて、「今を正しく見ること」なのかもしれない。
洋服で、いつもお世話になっているブランドがある。
ECサイトを中心に展開しているところだ。
販売されているプロダクトは、どれもかなり完成されている。
ベーシックなセットアップが多く、シルエットも素材も、細部の作り込みも申し分ない。
それでも、そのブランドは毎年のように改良を加えてくる。
ほんのわずかな違いかもしれない。
けれど、その小さな更新が、確実に「今」に合った一着を生み出している。
このスピード感と企画力。
そして何より、「今を直視する力」。
これが、本当にすごい。
世界も変化し、
人もまた、少しずつ変わっていく。
そしてふと思う。
これを日常で行えるものがあるとすれば、それはモノの整理なのではないかと。
自分の今は、自分を取り巻くモノたちから見えてくる。
クローゼットの中。
机の引き出し。
何気なく置かれている道具たち。
その一つひとつの中に、過去がある。
あの時必要だったもの。
自分を支えてくれていたもの。
けれど、それは今も必要なのだろうか。
感謝を持ちながら、きちんと直視する。
そして、「今に合っているか」を確かめていく。
変わり続ける世界の中で、
変わっていく自分に、
ちゃんと向き合えているか。
整理とは、ただ減らすことではない。
今の自分に合うかどうかを問い続ける行為なのだと思う。
今の自分を直視するための、
とてもシンプルで、確かな方法なのだ。
892/1000 うるさいプリンター
最近、私の仕事の中で欠かせない作業のひとつに、産業廃棄物のマニフェスト発行がある。マニフェストとは、産業廃棄物