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毎日ブログ

2026/02/07
812/1000 身体がリアルに知っていたこと   

ここ数ヶ月、歯が痛かった。

神経は取ってある歯なので、歯そのものが原因ではないことは分かっていた。

それでも、じんじんとした違和感が続いていた。

歯医者で診てもらうと、

歯の付け根の奥が炎症を起こしているらしい。

さらに診察を進める中で、先生が言った。

「だいぶ、くいしばってますね」

その一言で、点と点がつながった。

思い返せば、痛くなり始めた頃から、

なかなかしんどい状況が続いていた。

気を張り、踏ん張る場面が多かった。

そのとき私は、気持ちの上で歯を食いしばっていた。

そしてその状況に呼応するように、

身体はリアルに、就寝中まで歯を食いしばっていたのだ。

気持ちの緊張と、身体の緊張。

別々のものだと思っていた二つが、

実は同じ線の上にあった。

先生はマウスピースを作りましょうと言った。

しかも保険適用だという。

歯を抜かなければ治らないのでは、

そんなところまで考えていた私は、

原因と対処法が見えたことで、少し肩の力が抜けた。

歯の痛みは、まだ残っている。

でも、

しんどい状況に耐えてきた自分と、

そのまま身体を固め続けていた自分が、

きれいにつながった。

そのことが、

いちばんの処方箋だったのかもしれない。

2026/02/05
810/1000 名前を呼ぶという贈り物   

挨拶をされると、やっぱり嬉しい。

それはきっと、誰にとっても同じだと思う。

朝、すれ違いざまに「おはようございます」と声をかけられるだけで、少しだけ心がほどける。

けれど今日、ふと気づいた。

挨拶の中でも、もう一段階嬉しい瞬間がある。

 

それは、名前を呼ばれて挨拶をされた時だ。

 

「おはようございます」ではなく、

「小林さん、おはようございます」と声をかけられる。

その一言に、少しだけ特別な温度が乗る。

 

自分をちゃんと認識してもらえている感覚。

ただの“そこにいる人”ではなく、“小林という一人”として見てもらえている感覚。

たったそれだけの違いなのに、不思議と心に残る。

 

今日、そんな挨拶を自然にしている人に出会った。

最初は、「自分だけ名前を呼んでもらえたのかな」と思って、少し嬉しくなった。

けれど様子を見ていると、その人は誰に対しても、当たり前のように名前を添えて声をかけていた。

 

それが実に自然だった。

わざとらしさもなく、頑張っている感じもない。

ただ、そこにいる人を大切に扱っているだけ、という雰囲気だった。

 

すごいな、と思った。

同時に、真似したいなとも思った。

 

仕事でも家庭でも、私たちはつい役割で人を見る。

担当者、作業員、社員、ドライバー。

もちろんそれも必要だが、その前に一人ひとりに名前がある。

 

名前を呼ぶという行為は、案外エネルギーがいる。

覚える努力もいるし、間違えないように気も遣う。

でも、そのひと手間が、人と人との距離をぐっと縮めるのかもしれない。

 

考えてみれば、自分の名前を丁寧に呼んでもらった記憶というのは、なぜか長く残る。

逆に、名前を呼ばずに済ませてきた場面も、きっと数えきれないほどある。

 

挨拶は毎日のこと。

だからこそ、ほんの少しだけ質を変える余地がある。

 

「おはようございます」に、そっと名前を添える。

それだけで、同じ言葉が少し違う意味を持ち始める気がする。

 

今日出会ったその人の姿を見ながら、

挨拶とは礼儀である前に、関係をつくる行為なのだと改めて感じた。

 

明日から、私も少しずつ試してみようと思う。

ぎこちなくてもいい。

名前を呼ぶところから、人との距離をもう一歩だけ近づけてみたい。


2026/02/03
808/1000 節分の厄払い   

今日は節分。

季節の分かれ目で、かつて立春を一年の始まりとしていた頃の、いわば大晦日のような日だという。

そんな日に、私は車をぶつけられた。

駐車場に停めていた9年目のプリウスくん。

少し離れたところで、バックしてくる軽自動車が視界に入った。


「あ、近いな」


そう思った次の瞬間、派手な音とともにゴツん。

ぶつかる瞬間を、はっきり目撃してしまった。


手を振って制止すればよかったのかもしれない。

声を出していれば防げたのかもしれない。

後からなら、そんな考えはいくらでも浮かぶ。


向こうの車はバンパーがグシャグシャ。

一方、こちらは拍子抜けするほど、ほぼ無傷だった。

免許証を見せてもらうと、ゴールド免許のおばあちゃん。

長く無事故で運転してこられたのだろうと思うと、

怒りより先に、気の毒さが湧いてきた。


幸い、誰も怪我はしていない。

手続きは必要だが、それだけで十分だと思えた。


もろもろの厄が落ちて、誰かが持って行ってくれた。そんな気持ちが湧いてきた。

節分のごつんは幸先が良い。それで行こう。


2026/02/01
806/1000 便利な後輩を卒業する   

人を育てるということは、何なのだろう。

仕事に限らず、これまでさまざまな立場で人と関わってきたが、振り返ると「自分より下が育っていない」という場面を何度も経験してきた。


私より上の世代は、次々と仕事を振ってくる。

私はそれを右から左へと処理してきた。

量をこなす中で、確かに力はついたと思う。


だが、ふと気がつく。

自分の下が育っていない。


下の世代は、私を当てにする。

「小林さんがいれば何とかなる」

その空気は、安心でもあり、同時に危うさでもある。


この構図が続けば、組織は静かに弱体化していく。

仕事は回っているように見えて、実は“人”が育っていないからだ。


頼まれることに応え続けるのは、気持ちがいい。

評価もされるし、自分の存在価値も感じられる。

けれどそれは、いつの間にか「便利な後輩」「都合のいい中間管理職」を引き受け続けることにもなる。


今、必要なのはもう一段階先の役割だと思う。

自分がやることを減らし、人に任せること。

失敗させ、考えさせ、時間をかけて待つこと。


人を育てるとは、

自分が楽になることでも、

相手を甘やかすことでもない。


組織の未来のために、

あえて自分が“不便になる”選択をすることなのかもしれない。


便利な後輩を卒業する。

それは、次の責任を引き受けるという決意でもある。


2026/01/30
804/1000 予定のないドレスの話。未来の話ができるのが嬉しい   

二泊三日の東京出張が終わり、雪の庄内に帰る。飛行場に止めた車の雪が心配だ。

今回は中期経営計画を作成する合宿セミナーに参加していた。

合宿、と聞くと身構えてしまう。

山に籠もって数字と向き合い、頭から煙を出すような時間を想像していた。

けれど実際は、ずいぶんと穏やかな時間だった。

九割は個人ワークで、必要なときに専門家と壁打ちをする。

急かされることもなく、評価されることもない。

考えるための時間が、きちんと用意されていた。

かなり贅沢だし、驚くほど分かりやすい。

頭の中に散らばっていたものが、少しずつ整理され、

見えにくかった未来に輪郭が生まれてくる。

これからの会社、これからの仕事は、

きっとこういう形に近づいていくのだろう。

「仕事だからしょうがない」と割り切って進むのではなく、

立ち止まって考えること自体が、ちゃんと仕事になる世界。

そんな一日の終わり、上京している長女と飲みに行った。

話の中心は仕事のこと。

近況や悩みを聞きながら、

いつの間にか大人同士の会話になっていることに気づく。

ところが不思議なもので、

なぜか予定もないのに、

自分が着るウエディングドレスは何色がいいか、という話題で盛り上がった。

元ドレスコーディネーターの彼女は、

やはりドレスの話になると少し表情が変わる。

「こういうのはどうだろう」

私のチョイスに、

「そのブランド、人気だよ〜」と返ってきた。

少しだけ誇らしい。

何かが決まったわけではない。

未来が動いたわけでもない。

けれど、仕事のことを考える時間も、

予定のないドレスの話も、

どちらも「これから」を静かに見えやすくしてくれた気がする。

未来の話ができるというのは楽しいものだ。